![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/33230349/rectangle_large_type_2_1c393fb9f26b3c865d0c10ad43238e1c.jpeg?width=1200)
物書きの一コマ
首筋に冷たいものが当たった。視線をずらすとミルクティーのペットボトル。
詰めていた息を吐いて振り返ると君がいた。
「はい、休憩の時間ですよ〜」
戯けたように笑っている君を見て、僕は首を回しながら立ち上がった。
ここは僕の秘密基地。という名の3畳ほどのスペース。机があって、高反発のクッションを置いた椅子がある。机の上には、古びたノートパソコンと原稿用紙。僕の手には叔父からもらった万年筆。
そう、僕はここで物語を紡いでいる。誰かに見せるわけでもなく、ただただ書き溜めている。
そして君は、勝手に入ってきては残ったスペースで本を読んでいる。大体飲み物を持って。絶対にお菓子は持ってこないし、僕の作品を読もうともしない。
「お前さ、入る時声くらいかけろよ。びっくりするだろ」
「かけたかけた。先生、ゾーンに入って何も聞こえないみたいだったから」
せ・ん・せ・いと嫌味っぽく言うのは、僕が気付けばおやつを出すし、そこからのんびりとおしゃべりが始まるからだ。
僕は机の上に置いていたクッキーの箱を開け、君がくれたミルクティーを一口飲む。君はさらっとクッキーに手を伸ばしていた。
「そうか、ごめん。で、今日は何を?」
「ちょっと古めだけどSF。この人のデビュー作らしいよ」
顔の前で文庫本を掲げる君に、僕は頷いて見せる。君が僕の作品を読まないように、僕は君が見せる本を読まない。表紙の装丁を見て、内容を推理するのが楽しいんだ。
「これちょっと異世界譚入ってるでしょ」
「ビンゴ、時の流れが違う世界との交錯がある」
君は嬉しそうに笑う。でもあらすじは教えてくれない。それがいつの間にか僕らの間にできていたルールだ。
「じゃあ先生、執筆にお戻りいただいて構いませんよ」
君は話を切り上げて、持ち込んだ本の表紙を開く。ページをめくる手は踊るようで、文字を追いかける顔は幸せそうだ。
僕は一度伸びをして、机に向き直る。脇にさっきのペットボトルを置いて、万年筆を紙の上に走らせる。
筆記音と紙ズレの音だけが聞こえる。静かで満ち足りた時間。
僕は文字を連ねながら祈る。
どうか、この時間がずっと続きますように。僕の書いているものに、君が興味を示しませんように。
君が見たら、途端に色褪せてしまう。
僕が書いているのは、君との会話から着想を得た物語だから。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?