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物書きの一コマ

首筋に冷たいものが当たった。視線をずらすとミルクティーのペットボトル。

詰めていた息を吐いて振り返ると君がいた。

「はい、休憩の時間ですよ〜」

戯けたように笑っている君を見て、僕は首を回しながら立ち上がった。

ここは僕の秘密基地。という名の3畳ほどのスペース。机があって、高反発のクッションを置いた椅子がある。机の上には、古びたノートパソコンと原稿用紙。僕の手には叔父からもらった万年筆。

そう、僕はここで物語を紡いでいる。誰かに見せるわけでもなく、ただただ書き溜めている。

そして君は、勝手に入ってきては残ったスペースで本を読んでいる。大体飲み物を持って。絶対にお菓子は持ってこないし、僕の作品を読もうともしない。

「お前さ、入る時声くらいかけろよ。びっくりするだろ」

「かけたかけた。先生、ゾーンに入って何も聞こえないみたいだったから」

せ・ん・せ・いと嫌味っぽく言うのは、僕が気付けばおやつを出すし、そこからのんびりとおしゃべりが始まるからだ。

僕は机の上に置いていたクッキーの箱を開け、君がくれたミルクティーを一口飲む。君はさらっとクッキーに手を伸ばしていた。

「そうか、ごめん。で、今日は何を?」

「ちょっと古めだけどSF。この人のデビュー作らしいよ」

顔の前で文庫本を掲げる君に、僕は頷いて見せる。君が僕の作品を読まないように、僕は君が見せる本を読まない。表紙の装丁を見て、内容を推理するのが楽しいんだ。

「これちょっと異世界譚入ってるでしょ」

「ビンゴ、時の流れが違う世界との交錯がある」

君は嬉しそうに笑う。でもあらすじは教えてくれない。それがいつの間にか僕らの間にできていたルールだ。

「じゃあ先生、執筆にお戻りいただいて構いませんよ」

君は話を切り上げて、持ち込んだ本の表紙を開く。ページをめくる手は踊るようで、文字を追いかける顔は幸せそうだ。

僕は一度伸びをして、机に向き直る。脇にさっきのペットボトルを置いて、万年筆を紙の上に走らせる。

筆記音と紙ズレの音だけが聞こえる。静かで満ち足りた時間。

僕は文字を連ねながら祈る。

どうか、この時間がずっと続きますように。僕の書いているものに、君が興味を示しませんように。

君が見たら、途端に色褪せてしまう。

僕が書いているのは、君との会話から着想を得た物語だから。

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