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今日の私は、自分を受け止める訓練

10,495日目

心が狭いのではないだろうか...そんな自分に悲しくなった。

趣味というほどでもないが、毎年出場しているM-1の友人が別の友人と再度私と創った漫才のネタで出場し、アマチュアに与えられる賞を取ったと聞いた。

その連絡を受けた私は、全然素直に喜べなかった。むしろ「なんで…?」とおなかのあたりがもやもやして苦しくなるような気持ちになった。

全然素直に喜んでなくて、「おめでとう!」と淡々と連絡するのが精いっぱい。

それ以上はうまく言葉にできない。

心が狭い...

友人の功績を素直に喜んであげたい、その方が人間としてできていると思っている。自分のことのように喜ぶ、のような姿勢が善だと思っている。

でも、できない私はちっちゃい器しか持っていないことを突き付けられた。

その奥には、「負けず嫌い」「独占欲」「承認欲求」「道徳観」いろんな粒度のものが渦巻いているのだと思う。

私が下手だったから..?一緒に作ったものなのに。私だって賞を取りたかったな。同じものを使うってどうなの?

渦巻いている自分が嫌で、忘れようとあまり考えないようにしている。

会ったり話したりしたら解消される気がするけれど、そんな気分にもなれない。ちっちゃい自分。大したことじゃないのに、心の狭さにうんざりする。

受け止める

そうは言っても、そう感じてしまっている自分がいるのだから仕方がない。

あー私もやもやしているんだな。素直に喜べない自分がいるんだな。

その心の状態、事実をそのまま受け止めようとしている。そこに判断や善悪をつけないように。

マインドフルに受け止める。

そのまま、おなかのもやもやを両手で身体の前に取り出すイメージで、「そういう自分もいるよね」って。

ちょっと楽になる。

呼吸に意識

渦巻いているときって、肺でしか呼吸していないことに気が付く。

だから、意識して鼻からおなかの空洞に酸素を取り組む腹式呼吸に切り替える。

長ーく吐くとその分吸えるから徐々に深い呼吸になっていく。

呼吸に集中するから、邪念から徐々に解放されている感覚もある。

まとめ

度々、私は自分を心が狭いなと思うことに出会う。時間が経つことに解消されていくけれど、敢えてその自分をそのまま受け止めてみると心も軽くなっていく。

自分を責めてもその状態をすぐに変えられるわけでもないし、いいこともない。

自分を責めずに自然と「あ、出たこの自分」と気がついて受け止める、まさに訓練中。

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