見出し画像

今日の私は、王道について思い考える

10,504日目

久しぶりにバーに行った。

メニューの中にAstray(アストレイ) というものがあり、ガンダムの弱いやつなんだよ、という説明。ガンダム世代ではない私はそういうキャラクターいるんだ~という平凡な感想。

その後、言葉の意味の話になった。

Astray の意味

辞書(weblio)では、

副詞
1道に迷って 用例 go astray 迷う、惑う
2正道からそれて,邪道に入って,堕落して

その中でマスターは2の意味について話していた。彼の言葉を借りると「王道ではなく」

彼は、お酒も料理も勉強していない、独学からその言葉がしっくり来ているという。

辞書的な意味とは少し違うな。でも王道って何なのか、を考えていた。

誰か決める? 

私も日本の中から見たら、王道を生きて来ている。

小学校、中学校、高校、大学、大学院、会社員。

この王道は、大枠は日本の教育システムが決めたことであり、(大学院は%は減るだろうけれど)日本の中での王道になっているのかも。

働き方、社会の秩序..大概はその国家の中で体系化されたものになるのかな。

外国は、州の力が強かったり多民族だったりするからまたその王道が地方によって異なることもあるのだろう。(そう考えると、日本も田舎では結婚適齢期が早いと聞くし、日本も地方によるところはある)

見方

王道であることが、正道「人としての正しい生き方。物事の正しい仕方」ではないと思う。

でも自分の中にも王道を正とするようなタイミングがあることも感じる。コーチングだって資格を目指しているというのはその王道にいて安心したいからかもしれない。

だからと言って、王道を通ってない人に対して「だからあの人はこうなんだ」みたいな、そんなことを言う筋合いはないこと。

ここを意識していきたい。

まとめ

人を王道であるかどうかでなく、一人の人としてどう見るか、を意識する方向で思考が着地した。

全然人として完璧じゃない私、きっとこれからまた初めての経験をする度にその視野の狭さに気がつくだろう。

その度に軌道修正して、人間として幅を広げたい。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?