今日の私は、人と会うときの前提に意識的になろうと思う
10,537日目
ライフステージの分岐点にいる。
そう感じる出来事があった。
以前に会社の同じグループで働いていた同期と久しぶりに会った。
彼女は、もうすぐ2歳になる娘がいる。
家庭では母、妻の役割を担い、会社では中堅の立場になっており、複数の肩書きを入れ替えながら過ごしている。
私と会った休日も、娘と二人で来た彼女は母の顔と同期の顔を入れ替えていた。
互いの前提
子供はかわいかった。私は、度々話しかけていた。でも、彼女に対して母としての近況を聞くことはあまりなかった。
彼女も、娘が泣いてしまったり駄々をこねたりすると、申し訳ないと言い、私の前で母の顔でいることを好まなかった。
自然と話題は共通の仕事の近況報告が中心となった。
前提として、同期として会おう!ってお互いに思っていたみたい。
仕事に関してお互いの近況はよく理解できた時間になった。
もやもやの源
私は、消化不良な気持ちを抱きながら電車に乗っていた。
もやもやする、なんでなんだろう?
私の好きなさしごはんスタイルで、ある程度話したいことは話せたはずなのに。
考えていると、次第にもやもやの源が見えてきた。
私が好きなのは、その人全体と対話をすること。
ただ、この日は同期という一面でしか、彼女と向き合わなかった。
お互いに他の面は共有できないよね、って試しもせず好奇心も見せなかったところがあった。
先に書いた同期として会うという前提がコミュニケーションの深さに影響してしまった。
まとめ
その人をある一面で語ることはできない。
あらゆる面があって、発する言葉がある。全部繋がっている。
最初からこの面はわからないなってシャッターを閉じてしまうと、相手の発言の全体像を把握することが難しく、表面的な理解になるんだと気がついた。
ライフステージの分岐点にいることはたしか。
でもその人のどんな面にも好奇心を持ってコミュニケーションすると、簡単には切れない関係性を構築できるんじゃないかな。
これから人に会うときに前提を持っていないか、意識的になってみることから始めてみよう。
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