今日の私は、「完了」を考えた
10,489日目
「完了」することについて考えている。
仕事のプロジェクトだったり、パソコンのアップデート、引っ越しの準備... 度々「完了」の心地を味わうことがある。
定義
「一定の間継続して続けていた物事が不足なく完全に終わる」ことだという。
不足なく、というところが、ふわっと終わりを迎えることもできる終了や、期限が来たから生じる満了とは違う部分があると考えている。
完了は、美しく終えるということに捉えられると思う。
「立つ鳥跡を濁さず」の状態であるような気がしている。
今のステイタス
「完了」したいことがある。
約5年働いてきた会社に対してである。今年初めからうじうじ考えている。
この会社の環境やメンバーに対して、大きな不満がない。一方で、やりたい別のことがはっきりしているから旅立ちたい。
きっとこのうじうじは「完了」したい私の気持ちの表れなんだと思う。
うやむやに終了したり、関係性が崩れてしまったりすることが嫌。
美しく、会社との関係を終えることが私が目指していることなのだ。
だから準備期間は必要。念入りに考えている。
完了の意義
もうひとつ、意味があると知った。
「完了」、つまり美しく終えられたなら、次に向かう空白が生まれる。
終了や満了でも空白は生まれるかもしれないが、おそらくその空白のスペースが大きくなるのだと思う。
大げさに言うと、過去を手放すイメージ。
これまでのことは過去。よし、ここからゼロで進んでいくぞ!といういい意味での割り切りができる。
だからこそ、目の前に広がる景色は広い草原のような、360℃どこへでも進んでいける自分があるはず。
生まれ変わり という言葉が浮かんだ。
私は、新たなステージで人生を歩み始めるんだろう。
その先には山も谷もあるかもしれない。それでも、もう一回生まれ変わるために今は「完了」目指して進んでいこう。
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