今日の私は、言葉の裏面とむきあう
11,453日目
言葉ができるようになると、世界が広がる。言葉を知れば知るほど、同じ世界観の人たち、違う世界観の人たちと会話ができる。
言葉のおかげで、私は今の私、今の生活があると言っても過言ではないだろう。
ただ言葉はやっかいでもある、と私は時々感じる。
言葉を持たないペットや赤ちゃんのような無条件のアテンションを失ってしまうからだ。
わかりやすくいうと、言葉がないから、何もしなくても気にかけてもらえる存在である。
ちょっとだけ羨ましい。
「言わないとわからないでしょ!」と叱られるようになるのは、たぶん4歳くらいからか…
大人になって自分の考えをしっくりくる形で伝えられるようになってきた。そして、人との繋がりが本質的なものになった。
一方で、本当にやっかいだと感じていること。
それは、言葉によって世界を不必要にまで意味付けしようとしてしまうこともある。
何かが起きた時にはこれはこういう学びがあった、これには意味がある、と無理くりこじつけている時、ないだろうか。
最近の私は、音楽を流していても、歌詞に意味があるのではないかと貪りながら聴いていた。夜もポッドキャストを聴いて、考えや意見を頭のどこかで探し続ける『言葉漬け生活』を送っていた。
疲れて眠れない夜がいくつか続いて初めて、考えなくてもいいことまで説明しようとしてしまっているのではないか、ようやくそんな気づきにたどり着いた。
音楽も歌詞のないジャズやクラシックを聴くようになった。ポッドキャストのない散歩を楽しむようにした。
ただ癖は癖なので、すぐに頭の中の言葉が喋り出すのだけれど、『言葉漬け生活』から抜け出すとちょっと生きやすくなる。
言葉は好きだ。
でも過剰な意味付けや正解探しは要注意かなと思っている。
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