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今日の私は、Ankitaの生き様に響く

11,609日目

”世界はシンプルなのに、私たちが複雑にしている”

よく聞くような言葉だけれど、友人のインド人が発した言葉のエネルギーは私の胸にどんと響いた。

聞いた話をどれだけ伝えられるかわからないけれど、書きたい気持ちが優った。

彼女の名前はAnkita

落ち着いたエネルギーを身にまとっている人だった。パートナーと犬と、ルクセンブルクに住んでいる。

彼女には戻る場所がある。アンカー(碇)だと言っていた。それはヒマラヤにある村の子供たちに教えること。

ルクセンブルクに来る前のコロナの2年間、彼らは街の便利さや所有していた家を捨てた。そして、4000メートル級の山での生活を始めた。

冬になると、-25℃になる山。電気が通らなくなることも普通。水道菅は凍っているので近くまで水を汲みに行く。就寝時は、灯油ストーブは夜の火事が危ないので、5枚重ね着して3枚のブランケットをかぶる。スマホが頬に当たると”やけどをする冷たさ”なので、胸に入れて眠る。

それにも関わらず、彼らはその山での生活が満たされていた、育った街や元々の家族よりも近い心の故郷なのだ、という。

"二人とも物質的に多くのものを求めていないから動けたのだと思う”と彼女は言った。

たしかに…と思いつつ、そう考えるたちは数多いる中で、実際に動く人は少数。

彼女は続けた。小麦粉とじゃがいもしか食材がない日があっても、それは全然嫌じゃなかった。

”ご縁が連れて行ってくれるところに身を任せたかった”

会社員として働いていたころは、二人とも不安に苛まれていたらしい。日々のプレッシャー、役職が上がる度に増える責任。

彼らには密かな夢があった。退職したら、ヒマラヤで子供たちにボランティアで教えながら暮らすという夢。当時は60歳以降をイメージしていた。

しかし、コロナという未曾有の事態に。誰もが身動きが取れなくなった。

そして、彼らは決めた。この先何が起こるかわからないし、今叶えてしまおう!と。

結局、2年間で3つの山村を巡る生活になった。冬には、学校は長い休みになるので少し麓の村に降りて活動し、次の村に呼ばれたら行く、と流れに任せて。

彼らの活動をYouTubeで伝え、マネタイズはしていたが、停電も頻繁にあるのでアップロードに一苦労も二苦労もかかる。

NGOに所属して安定的に活動をすることも誘われたが、彼らは自由を取った。

ご縁に身を任せながら築かれた、心の故郷、土地の人たちとの絆。

”持っているものが少ないほど、多くのものを与える“

学校教育レベルが低い山の中の子供達にボランティアをしていた彼らは、村で温かく感謝をされたという。子供たちは山の外での生活全てが新鮮で、どんなふうに暮らしていたかを話すだけで好奇心が溢れてとまらないような子供達との日々。

そんなある日、通りすがった生徒のお家に夕食に誘われた。楽しく食べて話して過ごした後、残り物をまとめている親御さんを見て彼女は気がついた。

彼らが持っていた全部の食料を出してくれていたということに。

おそらく次の日は残りものしかない、そんな様子。

都会でお金を稼ぎ将来に備え貯蓄している状態とは真逆、全てを差し出せること。彼女は写真を見せてくれながら、目が潤んでいるようだった。感謝を通り越した尊さを感じたのではないか、聞きながら思った。

そうやって受け止める彼女もとても素敵なエネルギーに包まれていた。

シンプルに生きる強さを持って、今

そんな2年を過ごした後、パートナーの仕事が見つかったルクセンブルクに移住してきた。

いつでも戻るアンカーがある、数ヶ月でも年単位でもいい、と言っていた。

第三者からすると、続けて活動するストーリーが美談になるのかもしれない。でもその揺らがないアンカーの存在が、遥々仕事がある場所に動く決断へ後押ししてくれたようにも感じた。


生きるって日々を過ごすことなのに、いつのまにか将来のこと、リスクを考えることに頭の重心は傾きがち。

シンプルに生きるには強さがいる。想定外のこと、リスクを超えて動く勇気が必要だから。

Ankitaの纏うエネルギーは私に強さをくれた。今、目の前にあることを流さずに、ちゃんと地面を蹴って歩んでいきたい。


AnkitaとパートナーのYoutube




※書くこと及びリンク添付については許可をもらっていますが、私が感じたことがメインなので、ニュアンスや詳細は事実と少し異なっていることもあります


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