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今日の私は、’I'を考える Part2

10,514日目

先日書いた、自我'I'の話。

コーチング仲間との対話を通して、新しい切り口に気が付いたので考えてみる。

前記事では、○○したいという視点の’I'だったけれど、今日は、存在としての’I'について。

'I' がなかった時代

「20歳くらいまでのほっこは、どんな人だった?」

という問いに対して、私は言葉が出てこなかった。

しばらく考えて、「演じていた自分」を思い起こした。

以前も書いたかもしれないけれど、幼稚園のころからなぜか「しっかり」という言葉を大人たちから言われることが多かった。

実際に運動会ではみんなの見本になったり、音楽会では先生から打楽器に選ばれたり。

たしかに「しっかり」していたのかもしれない。ただ確実に言えることは「しっかりしているね」の言葉を受け取る度に私は「しっかりキャラ」として生きていかなくてはいけないのだ、と無意識にプレッシャーを感じていた。

そう、演じていた。小学校では「しっかり者」だった。


ただ、6年生の時期は、中学受験という競争の波にのまれて、所謂勉強ができる子たちがたくさんいる塾で苦しんだ。

成績順で並べられる塾の座席。悪いと後ろの方で居心地が悪いし、いいと周りから妬まれる。

他人と成績で比較されることが当たり前の世界だったから、「全然勉強してないよ」「わからないよー」ってお互いに言い合って、表面的に仲良しを演じていた。

塾の先生には、受験という目標に向かってうまくやる「協調性」のある子だとみられていたと思う。

でも裏では、強い子からはいじめられ、弱い子をいじめていた。一度塾にどうしても行けなくて、でもそんな自分が嫌で、おうちで泣き叫んでドアを蹴って傷つけたことがある。今でも思い出すと涙が出てくる。親に対して申し訳ない気持ちでいっぱい。

自分の気持ちをうまく表現できなかった。

それでも、塾の先生の前では何とか「協調性のある子」を演じ続けた。



結局、中学受験で入学した中高一貫校では、楽しい時間を過ごしたけれど、「しっかり」「協調性」というキーワードはどこかに自分の中にあって、うまく世渡りしていた。

一方で、バランスを取るためにいつのころからか、1学期に1回程度、仮病を使って学校を計画的に休むようになった。

はじめ、親は心配したというが、1日経つと何事もなかったかのように学校に行くからと見守ってくれた。心から感謝している。


大学に入ってからも3年生までは、ずっと答えのない'I'を探して演じていた。

'I'を認めた時代

大学3年生の冬、初めての彼氏ができた。

決していい彼氏だとは言えないけれど、人生の転機になるから恋愛ってすごいなと思う。

彼に初めて自分のことを吐露できた。

弱さ、辛さ、苦しさ、焦り…うまく世渡りするためには見せてはいけないと思っていた感情をようやく。

そんな中で、どういう流れだったのかは忘れたけれど、たぶん’I'を探してヤキモキしている私に、ふと「なんで今のままじゃいけないの?すごくいいと思うけど」と言ってくれた。

心がすーっと軽くなった。

「こんな私はいけないと思っていたけれど、これでいいの??」

このままの私を認めてくれる包み込むような言葉に、涙した。

’I'を肯定した瞬間だったかもしれない。

そこから何か人生の歯車が回り始めた気がしている。

まとめ

自分の人生という時間軸の中で、パラダイムシフトが起きた。

探さなくちゃと思っていた自分の存在が、すでにそこにあったという事実。

それを認めるだけで、心が軽くなり、満たされた。

友人には、’I'のない星の元に生まれたらしいけれど、いやいやそれは違うと今なら言える。

’I'はないわけがない。そこにある。それを認めるか認めないかは自分次第だっていうこと。


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