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今日の私は、自分の幸せを分離したくて
11,094日目
私は、幸せは主観的であってほしいと願っている。
幸せは主観的なものでしょ、と感じる人もいるかもしれないけれど、
他人の幸せと比較した上で幸せを感じ生きている人も多い気がする。
東京の真ん中に家を買った、しっかりしたお家柄・お仕事の人と結婚をした、お医者さん/弁護士になった…
たぶんこれらは日本で一般的によいとされる、他の人から幸せそうと思われやすいものだろう。
かつて私も家族が期待している医者になることを目指していた。
それが幸せな選択肢だと思っていた。
他人と分離して自分が本当にしたいことなど考えられずに、また幸せがどういうものかも考えてはいなかった。
もちろん医者になっていたら幸せだったかもしれないし、そうでなかったかもしれない。誰もわからない。
やっぱり幸せは自分にしかわからないものなのだ。
私は、日本において幸せの尺度が狭く設定されていることに実は生きづらさを感じている。
もちろん、他の国にもあると思う。
今住んでいるイギリスでもある階層では、全寮制のboarding schoolに通っていることが基準になっているということも知った。
関わりは薄かったけれど、近所に住んでいたユダヤ教の家族は子供が5人いて、規定の服装をいつも身に纏っていた。子だくさんがよいとされていると聞いた。
自分の人生を自分が生まれ育った他人の尺度から切り離して生きてみたい。
そんな願望がどこかにあったことも、海外に滞在することを選択した背景にはあると気が付いている、
逃げだと思われるかもしれないけれど、これが私の幸せの選択だから。
生まれ育った環境の中で本当の意味で自分の幸せと他人の期待する幸せを分離するのは難しい。
でも、もし機会があるのであれば一人でも多くの人に、自分にとっての幸せの選択をしてほしい。
そんな願いが強くあって、コーチングの仕事をしているのだと思う。
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