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山あり谷あり新聞奨学生体験記 Part 34「学校から呼び出し。卒業のピンチ!」

就職内定は決まりましたが、実は学校へは休みがちになっていました。体調を崩して、配達は毎日していたものの学校へ行く体力がなくしばらく休んでいました。

体調が元に戻ったもののサボりぐせがついてしまい、しばらく学校に行かなくなりました。

卒業まであと2ヶ月に迫った頃、学校から電話がありました。「このままでは卒業できません」と店に連絡がありました。そして、今後の事について話をしたいので、明日は学校に来るようにと言われました。

私は留年を覚悟しました。あれだけサボりまくっていたので卒業できないのは当然だと思いました。既に内定は決まっていたので、内定先へはどのように謝罪しようか考えていました。そして、母や友人にも内定が決まったことを言っていたので、留年により辞退する事になったことをどのように言おうか悩みました。

翌日、覚悟を決めて学校へ行きました。覚悟は決めていたものの、学校に近づくと凄く緊張しました。

登校すると早速先生に呼ばれました。そして、一限目には出ずに、面談室に行くことになりました。
校長と先生と私で3人で話し合いをすることになりました。

今まで何度も学校を休んでいた理由や、普段の仕事内容などを聞かれました。
休んだ理由については、体調不良や怠け癖がついてしまったことを正直に言いました。そして、何度か仕事の都合で休んでしまったこと、学校が駅から遠かったので雨の日は登校が困難だったこともいいました。

仕事内容についても正直に言いました。朝刊、夕刊、集金、折込業務があり、本来なら週休があるはずなのに休みをもらった事がなかったことを言いました。

色々と話しをして、留年はやむなしを思っていました。校長から「卒業したいのか」と聞かれ、「はい、九分九厘無理だと思いますが、もし出来るのなら卒業したいです」と言いました。

すると、「これから卒業するまで、授業日数の90%登校しなさい。もし登校出来たのなら卒業を許可します。登校できなければ留年になるから」と言われました。
まさか、卒業できる道があるなんて、思ってもいませんでした。「はい、頑張ります」と返事をしました。

それからは卒業するまで、遅刻をすることなく、毎日出席をしました。私と同様に卒業が危ない生徒も呼び出されたようです。以前より出席している生徒が多い気がしました。

卒業式まで約2ヶ月、真面目に通いました。毎日登校してみて「やれば出来るもんだな。もっと早くに怠け癖を取って、真面目に登校しておけば良かっった」と思いました。

サボっている間、「このままでは同じ店の専業員のように、卒業と同時に専業員になってしまう」と危機感を持っていました。しかし、いつしか怠け癖がついてしまい、専業員と同じような生活サイクルを送っていました。

朝刊配達後、朝食すぐに寝てしまい、夕刊配達前まで爆睡。夕刊配達後は集金や折込業務をする。そして、夕食を取って自由な時間を過ごす。集金は1ヶ月のうち10日くらいしていました。折込業務は週2回くらいありました。それ以外の日は夕刊配達後に夕食を済ませ、そして自由時間を過ごしていました。
仕事は毎日していたものの、堕落した生活を送っていました。

卒業直前にこのような環境にピリオドを打てる事が出来た気がしました。
学校の卒業試験も先生の協力があって、なんとか合格できました。
そして、無事に卒業でき、創業証書を授与されました。

後で成績を見ると、とんでもなく低い出席率でした。あの出席率だと他の普通の専門学校では絶対に卒業出来なかったと思います。
学校の思い出は極端に少なかったですが、最後に2ヶ月は学校の友達とコミュニケーションが取れて、楽しく過ごしました。

そして、これで新聞配達から脱出出来る事になって晴れ晴れした気分になりました。


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