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小さな話22 美しい君の居場所

写真を撮ることが趣味の私は、肌寒さの残る中桜の撮影に足を運んだ。
毎年訪れている川沿いの道は休日ということもあり、家族で溢れていた。出店のいちご飴を太陽にかざす女子高生、アニメキャラクターのついた綿飴の袋を振り回す少年、犬と散歩する老夫婦。誰もが思い思いの花見をしている春の一コマ。
人の顔が写らない程度に彼らの姿をカメラに収めていく。
カメラのシャッター音で一瞬世界が止まるような気がする。

撮影しながら歩き続けると、人がまばらになっている場所があった。
溢れんばかりの花でしなった枝が頭に当たるほど綺麗な花道だった。
カメラを構えて一枚。カシャリとシャッター音で切り取る。
その瞬間、風が吹いて枝が大きく揺れてしまった。
モニターに写っていたのは、激しく揺れ残像のようになった桜と、
息をのむように美しい少年だった。

「少年」と感じたのは黒い短髪と細身のシルエットからだが、よく見ればまつげは長く、唇は不自然に赤く彩られている。
モニターから顔をあげると、「彼」と目が合った。

「あ、あの、桜を撮りたくて。」
「いえいえ。もしかして、私写ってましたか?」
「少しだけ。」

どうして己の口はこんなにも怠惰なのだろうと呆れるくらい自分の口が動かない。というよりも「彼」の雰囲気に圧倒されているのかもしれない。
声を聞いてもまだわからない。掠れているせいでハスキーに聞こえるが、柔らかな響きを含む声だった。

「見せてもらうことできますか?」
「え?」
「私の写った写真。」
「もちろん、です。」

彼がゆっくりとこちらに歩いてくる。さっきは見えなかったが小さな耳たぶに白濁した色の球ピアスを付けている。彼の髪色と相反していてとても綺麗だった。

偶然撮れてしまった一枚を見せると彼の顔がぱっと華やいだ。
「すごい。桜の木ははっきり写ってないけど、色が綺麗です。」
「風のせいですね。」
「やっぱり高いカメラは違うなあ。」
「比較的、お手頃なものですよ、こいつは。」
「そうなんですか?でも綺麗です。ちょっと嬉しい。」
はにかむように笑う彼の白い歯が赤い唇からのぞき、ぞくりと背筋が震えた。
さっきから私は彼に圧倒されている。
彼は、今まで見てきたどんな生物よりも、魅力的だ。

「もしお暇だったら私の写真を撮ってくれませんか。」
「私で、いいんですか。」
「もちろんです。むしろ、お願いします。」
少し汚れた袖口から伸びる血管の浮いた手が冷たそうであたためたくなった。
襟元から覗く首は思っている数倍細くて簡単に折れてしまいそうだ。

彼の依頼もあって、私は彼を被写体に何枚かを撮影した。
しかし、油断すると腕や首元、背伸びしたときに見えた足首だけを撮ってしまいそうになる。自分がとんでもなく頭のおかしいことを考えているのは理解しているけど、どうしてか、彼は魅力的なのだ。

「どうですか。」
「素敵。本当にありがとうございます。」
少し動いたせいか顔色が幾分か紅色に染まった彼は嬉しそうに微笑んだ。
名前も年齢も性別すらわからないのに、愛おしさすら覚えてしまいそうだ。

「撮ってもらった写真、SNSにあげてもいいですか。」
「大丈夫です。」
「お兄さん、何かSNSやってます?」
「えーと、ツイッターなら。」
「よかった。教えてもらっていいですか?」
「うん。」
IDを交換して初めて彼の正体を知る。

「驚いた?私の手と足と首の皮膚はね、全部つくりものなんです。」
にこにこと自慢げに笑う「彼」はやっぱり美しかった。

SNSのプロフィールによると、何年か前に大火事に巻き込まれた「彼女」は、手と足を失った挙句、首元に大きな傷を負ったらしい。また、そのときの後遺症で身体の女性としての機能が一部失われた。

「私は、自分が女性である意味がわからなくなったんですよね。だって、今の時代はメイクもオシャレも性別なんて関係ないじゃないですか。髪の長さだってそう。だから、中性的な見た目でいることにしようと思って。私は私で、そこに性別というカテゴライズはいらなくて、まあ、強いていうなら戸籍上では女性ってだけでいいかなあて。」

彼の笑顔は透明で風に吹かれてしまいそうだった。不健康なほど細い四肢と肌の色の理由も、彼がどこか儚さと憂いを含む表情をする意味も少しだけ感じ取れた。

「この見た目も義手や義足も自分で選んだものだけど、ときどき大嫌いになることもあるんです。偽物だって。私の身体は半分以上偽物じゃないか、私が私でいる証拠はどこにあるのかって。」
「だから、お兄さんに撮ってもらった写真を見て感動しました。私の顔だけは、まだ私のものなので、こんなに綺麗に撮ってもらえたのが嬉しくて。本当にありがとう。」

私は彼を邪な目で見ていたことを猛烈に恥じた。彼の言葉に心が苦しくなった。
彼の偽物の部分を愛しそうになったことなど到底口には出せなかった。

「また写真、撮ってくださいね。」

彼はそう言い残し桜の中へと消えていった。私の気持ちなど露知らず、白く染まった道を滑るように消えていった。
彼の背中にふわりと落ちた花びらは不自然なほど淡いピンク色だった。


数年後、彼のSNSで彼が亡くなったことを知った。
驚きや悲しみはなく、ただ事実として受け止めていた。
結局、彼とはあれ以来会うことはなかった。しかし、彼は私の撮った写真をアイコンとして使用していてくれていたので少しだけ繋がりを感じていたのだ。

彼の訃報を聞いた翌週、私はあの川沿いの道を歩いていた。
桜は毎年綺麗に咲く。変わらない。変わったとしても人々は気づくことがない。
人工的に手入れされていても、自然と枝が折れたとしても、見てる人にとっては変わらぬ「桜」なのだ。
カメラ片手に歩くものの、なんとなく撮ることはできなかった。実は彼の写真を撮って以来、桜の写真が撮れないのだ。モニターに写る高画質の桜がどうしても偽物に見えてしまう。彼のいる空間だけが本物だった。

歩き続けていると彼と出会った場所へと足は向かっていた。
しかし、そこに桜はなかった。
あるのは水道工事を知らせる看板と、掘り起こされた地面だけだった。
昨年近くに商業施設ができた影響だろうか。あんなにも大きく咲き誇っていた桜は伐採されていた。

申し訳なさそうに書かれているヘルメットを被った猫を見ながら、鼻の奥がうずくのを感じた。掘り起こされた地面に向かって飛び込みたくなった。

どこかでここに来れば彼を感じられると期待していたのに。
この道の桜だけは本物だと思えると信じていたのに。
彼はもしかすると、彼女として再度生きることを決意していたかもしれないのに。

彼はいない。彼の居場所はなくなった。
この世界は、彼が生きるには少々穢れ過ぎていたのだ。
ファンタジーな苛立ちと悲しみが心に満ちていく。

桜の木が美しいのは、死体が埋まっているからだと昔の文豪は語った。
桜の美しさは、汚れがあって初めて際立つものなのかもしれない。
彼は桜よりも美しかった。どんな生物よりも美しかったのだ。
彼は自分を偽物だと笑ったが、彼だけが本物なのだ。

彼の居場所はここではない。
彼の居場所はここにはない。

震える手でカメラを構えてシャッターを切った。
蓋の外していないレンズでは暗闇しか写さない。
それでいい。
私がカメラを持つ理由はもうないのだから。

美しすぎた君の居場所は、ここにはもうない。


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