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小さな話20 「推し」

忙しく、殺伐とした現代を生き抜くために多くの人は、「推し」を持つようになっている。「推し」とは、要するに「好きな人」の総称である。

「推し事」「推し活」などと、推しを中心とする生活をするのも当たり前になりつつある。私も例に漏れず推し活をしている。

私が恋してしまったのは、画面の中の三次元の配信者だ。三次元で生きているはずなのに、会えない距離感は、二次元の存在と変わらない。だが、いつか会えるかもしれないという可能性がゼロではないのだ。だからこそ、「推し活」にも力が入ってしまう。

ファンとの密会が週刊誌に取り上げられるアイドルや配信者が増えるほど私は嬉しくなってしまう。私もその人に会えるかもしれないのだから。段々と彼の生活が、私の生活に近づいているのではないかと錯覚を起こしかける。

『今日の配信は、ゲーム配信だよー。』
ゆるい語りが癖になる彼の声は、耳に優しく、もし鬼に耳を取られてしまう日が来たら、ぜひ彼の声を聞いてからにしたい。それだけでしばらくは生きていけるだろうから。

『今日はねー、この敵を倒したいんだよねー。』
ゲーム配信はそう多くない。彼は正直そこまでゲームが上手いわけではないからだ。だが、今回のゲームはいつもより熱が入っているらしい。総プレイ時間は、彼の進捗具合と手癖から、約63時間と20分。配信以外にプレイしているであろう時間は、約20時間と43分。配信でヒントをもらって進めないと無理だなんて可愛い人だ。

『え、こいつ倒せなくない??無理なんだけど???』
彼がコンテニューを繰り返すこと30分。そろそろ根を上げ始めた。
【マルチプレイでもしたら?】【ヘルプ呼びなよー。】
配信のコメントでマルチプレイを勧める声が多くなってきた。狙い通り。
『視聴者さんの方が安心だな。誰かいるー?』
能天気な彼は約300人の視聴者に問いかける。

もちろん、私はスタンバイを済ませている。

『マルチしたことないんだけど、みんな教えてー。』
可愛い。ふう。赤ちゃんなのかもしれない。彼を見ていると母性が芽生えてきそうだ。想像妊娠でお腹が膨れそう。

『あ、できたっぽい。誰か来てくれるかな。』
正直、今回のゲームでのマルチ募集は宝くじのようなものだ。血眼で彼のプレイヤー名を探す。運よく入れたら…ああ、胸が高鳴る。

『お、誰か来るみたい。』
終焉だ。この世の終わりだ。彼と接触するタイミングをまた逃してしまった。二次元だろうと、オープンワールドのゲームだろうと、彼と触れ合いたい。その既成事実が欲しい。

『ん、助けてくれてありがとうー!もし、視聴者さんの中にいたらコメント頂戴ね。』
可憐な乙女の恋路を邪魔するのはどいつだと、コメント欄を睨んでいると、そこそこ視聴者数のいる女性ゲーマー配信者が名乗りを上げた。

コメント欄がざわついた。

『え、嘘。れんちゃんなの?まじで?』
『コラボしよ。音声で上がってきてよ。』
『いやー、嬉しいなあ。初めてコラボしてるのがれんちゃんだなんて。』

ざわついた。私の心が。幽霊船もびっくりな荒波状態だ。推しの数少ない初めてを奪われてしまった。もう今日は配信を見るのをやめよう。ニコニコなんてできやしない。

『初めましてー。れんです。』

二万円のヘッドホンから聞こえてきたのは、マカロンみたいな甘い声。ベタベタはしていないけど、軽くもない、というか。うん、小さな箱に入れて大事にされてきているマカロンみたいな声だ。

『俺さ、ゲーム下手なんよ。』
『見ててわかったよ。』
『まじか!』
『うん。ほら、これあげるから。そしたらレベル上げられる?』
『素材じゃん!探してたやつ!』
『私、君の配信たまに見てたから、もしかしたら必要かなて。』
『れんちゃんに見てもらってたとか、俺幸せすぎ。』

そんな嬉しそうな声でマカロンと会話しないで欲しい。でも、そんな推しの嬉しそうな声を聞くのは、久しぶりだし、もう少しだけ聞いていたい。

あ、そうだ。

最後に投げ銭して切ろう。コメントは何がいいかな。投げ銭システムは、彼に自分の気持ちの一部を伝えるのに最適だ。何回も送ってるし、運が良ければ拾ってくれる。あのマカロンがいなくなったら送ろう。じゃないと、投げ銭なんて拾ってくれないだろうしな。

せめての抵抗とヘッドホンを半分だけつけて、コラボ配信を聞くことにした。推しの声は可愛いし、慌ててるのも悔しそうなのもすごく可愛い。可愛いしかいえない。呼吸をして出ていくのが、二酸化炭素と「可愛い」という叫びなんじゃないかというくらいには可愛いを連呼している。推しのリアルな「生きている瞬間」を聞けるのは、ライブ配信しかないから、やっぱり聞かないなんて無理だ。

『やっと倒せたー!まじありがと!』
『いえいえー。あ、フレンド登録していい?』
『もちろん。またやろうー。』

先手を取られた。中途半端なヘッドホンがずり落ちて、前髪が目に入る。痛い。

『フレンドコードみたいなやつわかる?』
『え、あ、わからん、どの画面かな?』

推しが初心者すぎて、やっぱり赤ちゃんだ。そして、これは、なんと、フレンドコードを見れてしまうのではないだろうか。よくやった、マカロン。貴様の出番はここまでだ。

推しは、天然というか、抜けているので、よく個人情報漏洩しかけている。今回もきっとフレンドコードを難なく晒してくれるだろう。


きた。


よくやった。推しが慌てて画面を変えたが、もちろん録画済み。時間をおいて申請しておこう。もしかしたら受け入れてくれるかもしれない。

『それじゃ、コラボはこの辺にして、配信も終わろうかなあ。』
推しが終わりの口上を述べようとしているので、すかさず用意していた投げ銭を投げる。金額は、一万円。このゲームの一回での課金最高額だ。
『あ、誰か投げ銭くれた。課金用にどうぞ、だって!ありがとじゃん!』
推しが。読んで。くれた。ありがとう。て言ってくれた。今日は、命日だ。私の心は、また台風がきたかのように大荒れで、幽霊船は転覆してしまった。

『今日もありがとうー!またねー!』

こちらこそありがとう。楽しかった。一つ許し難いことがあったが、まあ、許してやる。推しが私の投げ銭に反応してくれたから、今回はそれに免じて許してやるのだ。くれぐれも調子に乗らないでいただきたい。

prrrr...

電話が鳴った。

「はい。」
『もしもし、お仕事お願いしたいんだけどいい?』
「もちろんです。」
『俺、れんちゃん、て配信者が好きなんだけど、さっきさ、知らない男とマルチプレイとか楽しそうにしてたわけ。すげームカついてて。』
「それは、災難でしたね。」
『そうなんだよ。だから、ちょっと軽く、彼女に指導してくれない?』
「かしこまりました。」
『内容は…そうだな、ファンとのオフ会でやらしい関係になった、みたいな。できる?』
「お任せください。画像など、何か素材はございますか?」
『一応、オフ会のやつを回してもらったのはあるけど。』
「では、そちらを今から言うwebサイトにてアップロードしていただけますか。」
『はいはい。』
「ご依頼は、指導料、ということで、一万円ほどいただいておりますが、いかがですか。」
『それ以上払ったら?』
「彼女の配信用アカウントを乗っ取る、で十万円。アカウント停止に追い込むようでしたら、五万円からが相場になっています。」
『いいね。アカウント停止にしよっかな。いいよね、指導だし。俺が一番彼女のサポートをしてあげられるんだし。』
「もちろんでございます。それでは、お支払い方法は、投げ銭にてお願いいたします。」
『はーい。よろしく。』


カーテンを閉め、真っ赤な天狗のマスクをつける。ボイスチェンジャーの調子を確認し、カメラの位置を調整する。

「天誅の時間だ。今日の罪人は、とある女性配信者である。」


私の仕事は、皆様の「推し事」をより良くするように環境をととのえること。配信者といえば、一般人だ。アイドルではないのだから、きっとこの世の常識もわからぬまま生き延びているのだろう。それを『指導』するのは当然のことだ。私たちは、推しをもっと輝かせたいだけなのだ。私たちの純粋な祈りを聞いてくれない奴は多くの人のもとで裁かれるべきだ。民主主義国家だからね。


『れんちゃん?ああ、なんかいたねー。一回だけゲームしたけど、あとあんまり話してないなー。』
推しののんびりとした声を聞きながらゲームを進める。推しとのマルチプレイイベントがいつ発生するかわからないから、常に万全の状態を保持すべきなのだ。

ビバ「推し事」!!!

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