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小さな話26 冷え性

『裏垢女子始めm』
ここまで打ってから、画面の上部に着信を知らせる通知が届いた。ふたつ下の後輩。パーマをかけてから、アイドルの誰かに似てると噂され始めた可愛い顔の子。

「はい。」
「あ、先輩すみません。今大丈夫ですか?」
「うん。どうしたの?」
「今からマヒロとクニさんとラーメン行くんですけど、先輩も行かないかなあて。」
「どこのラーメン?」

マニキュアを塗り替えたばかりの爪が机の裸電球の光を鈍く反射する。今年のマストカラーと書かれたポップを信じて買ってみたが似合っているのかがわからない。

「駅前の味噌美味しいところ。」
「遠いじゃん。」
「でももうその口なんですよ。」

後ろでマヒロくんが何か言ってクニこと国見が笑うのが聞こえた。国見とは同期だし、部活も同じだし仲が悪いわけではないが、後輩がいる状況での彼女はあまり好ましいものではない。

「迷うなあ。」
「行きましょうよ。寒い日にはラーメンじゃないですか?」
「確かに大変魅力的ではあるのよね。」

部屋着から着替えるために腰をあげる。学生アパートには床暖房なんて贅沢品はないから、フローリングの冷たさが足の感覚をどんどん奪っていく。パーカーだけでは寒いことはわかってるから、上に買ったばかりのジャケットを羽織る。

「いいよ。行こうか。」
「じゃあ、先輩のアパートの前に5分後に行きますね!」
「来ること前提じゃん。」

少し不満げな声を出すと、照れたようにへへ、と笑う声が聞こえた。あの子、あざといよね、という国見の酔った声を思い出す。国見は可愛い後輩を見ると途端にお酒を飲み出す。女子との飲み会じゃ太りたくないと大して飲まないのに、サークルだとサワーを頼んでジョッキの半分くらいでふわふわし出すのだ。

ジャケットと同じ店で買ったリングをつけると少しだけ気分も上がる。ゲームなんかでアクセサリーが戦闘効果を上げるアイテムになるのはあながち現実と乖離した話ではない。

暗い廊下で静かにスマホの画面が明るくなって、彼らの到着を知らせる。出そうになったため息を誰かに聞こえるわけでもないが飲み込んで、鉄のドアをゆっくり開く。

冷たさを増すばかりの秋風が頬に触れると、そろそろマフラーの季節だなと思う。高校生の頃帰り道、ボリュームのあるマフラーをゆるりと巻くのが流行っていた。今じゃ、ぐるぐる巻きにして防寒に努めるのが精一杯だ。

「お待たせしました。」
「早すぎる。」
「え、だってクニさんが絶対行くと思うからって。」
「言った通りだったでしょ?」

後部座席に乗り込むと助手席の国見がニヤリとこちらを見てくる。マヒロくんがこんにちはーとゆるっと笑いかけてくる。大変すね、と言いたげな目線を無視してドアを強めに閉めた。

「じゃあ、行きましょうか。先輩、音楽何がいいです?」
「私が決めていいの?」
「そりゃあ軽音部の部長様ですし。」
「何その理由。」

なりたくてなったわけじゃない部長という肩書は重いだけである。運転席の岡田くんが携帯を渡してくる。こういうとき心臓がばくんと鳴る。普通、先輩にロックを解除した携帯を無防備に渡すのだろうか。学年がふたつも違うと感覚も違うのだろうか。私ならしない。それだけだけど。

最近聴き始めたインディーズバンドのプレイリストを流し始めると車がゆっくりと走り出す。国見はあまり曲に興味がないのか岡崎くんにしきりに話しかける。私はベースラインを聴きたくてなってしまって思わず窓に顔を向け目を閉じる。マヒロくんはマヒロくんで彼女に連絡してるようだった。

ある意味いつもの光景。いまいち噛み合わない4人。無駄にポップなメロディラインをふわりと聴きながら選曲をミスったなあと思わざるを得ない夜道。

ラーメン屋につくとカウンターに案内された。右から国見、岡田くん、私、マヒロくん。頼んだラーメンは右から、塩、醤油、辛味噌、豚骨。マヒロくんは半チャーハンも頼んだ。美味しいの?と聞くと、いや普通です、と普通の顔で言われてしまった。

席につくと国見は変わらず岡田くんに話しかけていた。何をそんなに話すことがあるのだろうかとただただ興味がわいて聞き耳を立ててしまった。どうやら来月彼女のダンス部のイベントがあるから、という誘いのようだった。日程を調整しますねと律儀に返す岡田くんに、絶対だよ、と可愛く念を押す同期への思いを水で流し込む。ラーメンを食べる前に水で口を清めるのがいいんだって、と元彼が普通の顔をして言っていたのが面白くていつもやるようになってしまった。

マヒロくんは半チャーハンを先にもらい、お先に、と食べ始めていた。彼女とは順調?と聞くと、はい。とこれまた普通の顔。いまいち不思議な子である。

ラーメン屋のBGMはいつも有線のプレイリストである。ショート動画でお馴染みのアイドルソングに耳が慣れずにひとりで空耳選手権をしている気分になる。国見ならカラオケで歌うのかなと彼女の左耳のピアスを目の端に捉えてしまった。

お待ちどう、とやや無愛想な店主の声で顔の前がぐっと熱くなる。美味しそうと呟くと、隣の岡田くんがクスリと笑った。

「何よ。」
「いや、待ってたんだなあて。」
「電話でラーメンて聞いてから何かお腹空いちゃったの。」
「僕のせいじゃん。」
「そう言ってるじゃん。」

全部君のせいだ。

箸を勢いよく割りすぎて歪な形になってまた笑われた。はい、と綺麗に渡された箸をおとなしく受け取ると、岡田くんの私の歪な割り箸を使い出した。

”君のそういうところが嫌いだよ。”

唯一聞き取れた歌詞はラーメンのすする音と店主の声で随分と遠くに聞こえていった。

帰り道コンビニに寄って缶コーヒーを買う。国見は可愛くミルクティーを買ってあったかいなあて頬にくっつけている。マヒロくんは肉まんを買ってた。岡田くんは、ピノを買って食べていいです?と聞いてくる。もちろんと言いながら、コーヒーを煽ると思った以上に甘く感じて、加糖を買ってしまったことを悟る。甘いものもいいよね、と無理やり納得させる。

「あ、ピノに星ある。」
「どれどれ?」
「ほら。」

国見がマヒロくんから惚気話を聞き出そうとする横で、岡田くんが私に小さく告げてくる。そして差し出したピノが美味しそうで口を開きかけた。意味がわからない。アイスと迷ってコーヒーを買ったことがバレてしまう。

「いりますか?」
「いいの?」
「ついてきてくれたお礼です。」

そのまま食べさせられた。甘すぎる。

爽やかで甘ったるいバニラがじんわりと馴染み、思わず頬の力が抜けてしまった。誤魔化すようにコーヒーを飲むけど、やっぱり甘くてむせかける。

全員が食べ終わり、また車で帰る。帰り道も助手席に国見が座り、後部座席に私とマヒロくんが座る。マヒロくんの携帯が鳴り、彼女からの呼び出しということで急遽、大学近くの学生アパートへ向かうことになった。

「先輩、遠回りになるけどいいですか?」
「マヒロくんの用事急ぎでしょ?」
「なんか飲みすぎたらしくて。」

申し訳なさそうだけど、彼女を大事にしてる後輩を目の前にしたら向かわない理由はない。国見も同じアパートだしという理由で二人を先に送る。さようならと挨拶もそこそこに駆け出したマヒロくんと、ゆっくり手を振る国見を見送って、岡田くんに送ってもらう。

「そういえば、行きにかけてくれたバンド教えてください。」
「覚えてたの?」
「聞いてましたよ、もちろん。」
「岡田くんの携帯でかけたから履歴にあるよ。」
「そっか。じゃあ、もいっこおすすめあります?」

二人になったら気まずくなるかと思ったけどそんなこともなく、ただただ私の家に近づいただけだった。シティポップのバンドの音色は、夜道のドライブに最適解を与えてくれはしないだろうか。

「着きました。」
「ありがとう。誘ってくれて、送ってくれて。」
「いえいえ。いい音楽を教えてくれてありがとうございます。」
「いえいえ。あんなので良ければいつでも。」
「あ、先輩の家にガムないです?さっき買い忘れちゃって。」
「あるよ。持ってくるからちょっと待っててね。」
「すみません。ひとりだと眠くなっちゃうので。」

部屋に戻り、ガムと昨日買ったカフェオレを掴んで車に戻る。

「これ、ガムと、お礼にカフェオレ。」
「いいんですか!やった!」
「気をつけてね。」
「先輩もあったかくして寝てくださいね。」
「そんなに寒くなるかな、今日。嫌だな。」
「いや、今先輩の手、冷たかったから。」
「嘘。」
「あ、なんか気持ち悪かったですね。すみません。」
「あ、ううん、末端冷え性ではあるから。」
「ああ。女の人に多いって聞きますもんね。今度鍋しましょうか。」
「全然いいけど。」

気の遣い方がどうにも慣れない。世代のせいなのか。平成と令和の違いなのか。軽く混乱し始めた頭のまま、バイバイと手を振る。車が行ってからも少しだけ外に居座ってしまうほど、顔が熱い。それとも指先が冷たすぎていつも以上に熱を感じているのかもしれない。どっちにしろ、冷え性のせいで、とんでもない目にあった。

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