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「沙羅 ~ 恋のエピソード」(その13)“コンクールへの取り組み”

 手軽に音楽制作が出来る安価なDTMツールなんてまだ無かった時代だ。理想的な楽器と演奏者が、突然目の前に現れたことは、僕にとって最高のプレゼントのように思えた。

 ナイス在籍時代から、キースは、クラシック作品のロック・アレンジを繰り返し行っている。それと同じ事をやってみたかった。
 音大進学を志した頃から、様々な楽曲を聴き漁った。そんな中で、バルトーク、プロコフィエフ、ショスタコーヴィチなど、20世紀前半のクラシック音楽の中に、キースっぽさを感じさせる曲がいくつかあった。
 コンクール参加ということを考慮に入れ、その中でも最も難易度の高い、ショスタコーヴィチのピアノ・ソナタ1番を選んだ。

 曲が決まったことを電話で伝えると、数日後、折り返しの電話があった。生徒が輸入レコードを探し出してきて、気に入って繰り返し聴いているという。楽譜が届くのを楽しみにしているということだった。そんな話を聞くと、こちらのモチベーションもさらに上がった。

 ピアノ譜を元に、ロックっぽいベースパターンを加え、多くの箇所にリハーモニゼーションを施す。ナイス時代に、キースがチャイコフスキーの交響曲《悲愴》第3楽章に施したアレンジパターンを参考にした。
 演奏する生徒が少しでも早く練習できるように、書きあがった分だけを少しずつ、先輩先生の元に郵送。コピーしたものを紗羅にも同時発送した。本人がそれを望んだからだ。

 楽譜が届くと、お礼の電話が入り、その後も、練習の進み具合を報告してきた。
 コンクールにという目標に向かって、チームを組んで突き進んで行く。 かつて、ポプコンを目指してオリジナル曲を書き、バンド練習した頃を思い出していた。

 アレンジ譜が完成し、ある程度演奏が仕上がってくると、カセットテープに録音したものが送られてきた。
 その感想を電話で伝えているうちに、双方がもどかしくなり、直接の指導を懇願された。

 目の前で初めて聴く生徒の演奏は、楽譜に記された音符を忠実になぞったものではあったが、曲のムードを掴み切れておらず、“その曲らしさ”があまり感じられない。表現欲求の薄さが露呈していた。

 さて、そこにどうやって命を吹き込むか・・・

 これは、なかなかに厄介な作業だと思った。

 「疾走感」や「ねばり」「重さ」など、単なる音の並びだけではない「感じ取るべきエキス」を何とかして伝えようと知恵を絞り、自然界に見られる様々な現象、たとえば、砂浜での波の動き、風が吹き渡る様子、人や動物の歩行や走行などに例えて説明した。
 これが見事に功を奏し、生徒の演奏は、それ以前とでは見違えるように変化した。
 その様子が、通常のピアノや電子オルガンのレッスンとはまるで違っていたようで、先輩先生も、そばで見ていた沙羅もそれを面白がり、他の生徒へのレッスンも要請された。

 新宿へ繰り返し出向いてのレッスンは楽しかった。

 遠ざかりつつあった沙羅との距離感も、一気に縮まったように思えた。

 コンクールが近づくにつれ、生徒の演奏もスピードが上がり、演奏時間に余裕が出来たため、オリジナルにはない序奏を付け加えた。主旋律を元に、期待感を高める効果を狙った。

 ― これでもう鉄壁だ ―

 生徒のレッスンを、壁越しに傾聴する人がいつの間にか増えていた。
 その中には、東京地区のディレクターもいて、「すごい」という感想を伝えて来た。

 こうして、コンクールが始まる前から前評判が高まって行く。

 地区大会は、会場には足を運ばず、自宅で連絡を待っていた。間違いなく通過するだろうと思っていたので、すでに興味の対象は全国大会に絞られていた。
 結果は、予想どおりだった。

 最優秀賞での通過。

 他の演奏とは、次元が違っていたという報告を受けた。

 地区大会を通過した後、生徒はその曲を弾くのが楽しくて仕方がないという感じで、暇さえあれば弾いていると聞いた。

  演奏者、指導者、編曲者、全員のモチベーションと期待がひとつに集中し、理想的な連帯感が生まれている。
 全国大会がますます楽しみになってきた。

 東京の優勝者の演奏がスゴイという噂は、各地区のディレクターを通じて、全国に伝わっているらしかった。

 そして、いよいいよ全国大会当日。
 大会前から、最優秀賞をほぼ確信していたので、審査結果より、演奏効果を会場で確かめることを楽しみにしていた。 
 生徒の出番が近づくのをわくわくして待っていた。他の演奏はほとんど眼中に無く、うわの空だった。

 そして、いよいよ出番がやってきた。

 最初の音が出た瞬間から、思ったとおりの効果を発揮している。
 ゆったりとしたイントロが、クレッシェンドし期待感を高め、ドラム音が加わった瞬間から抜群の疾走感。
 増音程が攻撃的な雰囲気を漂わせ、素早いパッセージが上行下行を繰り返す。
 それが高みに達した瞬間にクラッシュシンバルが炸裂し、主メロディーが分厚く充填されて高らかに彷徨する。
 足鍵盤による、高難易度のベースソロも抜群のかっこよさ!
 大いに興奮し、満足した。

 審査結果?

 当然、最優秀賞だったさ。
                     (つづく)                                                    


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