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見えない未来に希望が一人

 残りの寿命を知ったら、その残された時間を人間はどう過ごすんだろう。残りの寿命を知ることは、果たして幸せだろうか、それとも不幸だろうか。
 私が占い鑑定士として、雑居ビルのこの小さな部屋で商売を始めたのは、ちょうど10年前だ。
 それまで仕事を転々としたが、どうやら私は他人と一緒に何かをすることが極端に苦手らしい。一人で気ままにやり始めた占い鑑定士が、まさかこんなに長く続くとは思っていなかった。占い師が自分の未来は占えないっていうのは、たぶん本当なんだろうな。
「それであの、先生の見立てでは、転職した方が良いと思いますか」
 今日初めての客のスーツを着たサラリーマン男性が恐る恐る聞いてくる。
「先ほども言いましたが、私は先生なんかじゃないですよ。ただの怪しい占い鑑定士ですから」
 私はわざと一息ついて、少し低めの声で男性に言う。
「転職してもよいと思いますよ。八卦得度(はっけとくど)では、あなたは本来身軽さが取柄だと出ています。フットワークの軽さがあなたの良さだと思います。考え方もそうです。今の職場で、色んな人と関わりながら、新鮮さを感じながら働いているなら転職はしないほうがいいでしょう。でも、きっと我慢を重ねながら同じような毎日を過ごしていそうです。であれば、私は転職をおすすめします」
 視線を落として私の話を聞いていた男性が、ゆっくりと顔を上げる。入ってきた時と変わって、口角が上がっている。
「ありがとうございます!そうなんですよ、僕の居場所はここじゃない、みたいな感覚がずっとあって。やっぱりそうなんですね。これで踏ん切りがつきました。じつはもう何社か面接が決まってて──」
 八卦得度は、私が易をベースに四柱推命などを組み合わせて作ったオリジナルの占い鑑定だ。実際のところ、わりと適当だったりする。
 自分で占い鑑定士を名乗っているが、占いなんて説教とコーチングが形を変えただけだろう。誰がやっても一緒だ。
 占い鑑定を求める人は、2種類に分けられる。背中を押してほしい人か、向き合って話を聞いてほしい人か、そのどちらかだ。今回の客は、背中を押してほしいタイプだった。
 そういう見極めさえできれば、誰でもできるのが占い鑑定だ。でも私は、その先がある。
「──それで、私の寿命も見てもらえると聞いたんですが、お願いできますか」
「もちろんです」
 私は相手の首元あたりをじっと見つめる。
見つめていると、年輪のようなものが浮かんでくる。私はその線の数と密度を読むことで寿命を言い当てる。超能力みたいなものだけど、使いこなせるようになったのは割と最近だ。だから、私の占いは他と違う。
 私は相手の首元を見つめる。おかしい。この人、これから先の年輪がない。見えないものは伝えられない。
「あの、すみません。今日は調子が悪いのか、あなたとの相性の問題か分かりませんが、あなたの寿命が見えません。申し訳ありません。寿命鑑定分のお代はけっこうですので」
「そうですか、残念です。また悩んだら来ますね。ありがとうございました」
 瀕死の人や病院内ならともかく、普通に元気な人で、しかも仕事場で初めて未来が見えない人に会った。なんだか嫌な感じがする。
「本当に申し訳ありません。転職がんばってください。それと──どうかお気をつけてお帰り下さい」
 サラリーマン男性がドアを出て2秒後に、ガシャンという金属が歪むような大きな音と振動を感じた。ゆっくりとドアを開けると、秋の匂いと土埃がお店の中に吸い込まれてくる。目の前に雑居ビルの屋上に取り付けてあった看板が落ちていた。その下にさっきまで話していたサラリーマンの足だけが見える。上半身は看板に潰されて見えない。
「年輪が見えないって、やっぱり──」
 私は、全身に汗が噴き出すの感じながら、開けたときと同じようにゆっくりとドアを閉めた。

 次の日、お店に行くと、看板が落ちた所の歩道が剥げている以外はいつも通りだった。
 薄暗い店の中で、パソコンを開き、今日の予約を確認する。今日は予約がいっぱいで、最初のお客が来るまであと30分だった。
 SNSに投稿をあげたタイミングで最初のお客がきた。若い女性でフリーターをしているという。
 彼女は、話を聞いてほしいタイプだった。このタイプは、少し厳しめの言い方をするほうが響く。私は、こうやってたまに愚痴をこぼしながら、つまらない毎日を送りたいならそのままでいいけど、そうじゃないなら行動で示せというようなことを言った。
 大人になるとちゃんと説教してくれる人が減ってくる。占いは大人を説教する道具としては、とても優秀だと思う。彼女も、目から鱗が落ちたと言って泣きながら感動していた。
 寿命鑑定は申し込んでなかったが、泣き終わるまで待っている間に首元を見つめる。
(この人も未来の年輪がほとんど見えない)
「あの、余計なお世話かもしれませんが、ここを一歩出たら、周りに気をつけてどうか安全に帰ってください。昨日も看板が落ちる事故がありましたし。占い鑑定やっている身で言うのも変ですけど、何が起こるか分からないですから」
「はい、ありがとうございます。今日は来て良かったです。あ、友だちで悩んでいる子がいるので、今度一緒に連れてきますね」
「それはぜひ。何かお力になれるかもしれません。よろしくお願いします」
 この人ももしかしたら二度と会えないかもしれない。不吉な予感が伝わらないように注意しながら、私はお店の外まで一緒に出て、彼女が見えなくなるまでその姿を見送っていた。
 初秋の頃とはいえ、夜になると刺すような冷たさが空気に混じる。
今日最後のお客を見送って、お店に戻ると張りつめていた緊張感がふっと緩んだ。それでも嫌な予感が拭えない。変な汗が止まらない。鳥肌も収まらない。
 今日来たお客は、全員未来の年輪が見えなかった。
 片付けは明日することにして、急いで家に帰ることにした。家の最寄り駅には、各駅停車しか止まらないのがもどかしい。早く帰って確認しなくては。

 自宅のマンションに着くと、エレベーターを待つ時間が惜しくて、4階まで階段を駆け上がる。飛び込むように家に入り、すぐに洗面所へ向かう。久しぶりの運動で破れそうなほど胸が苦しい。肩で息をする鏡の中の自分の首元をじっと見つめる。波紋が広がるように年輪が浮かんでくる。
 3年前に自分の年輪を見たときは、あと50年分は未来が広がっていた。今回は、未来の年輪が全く見えなかった。
 小学校3年生のときに、入院していた祖父のお見舞いに行った。そこで自分の能力に気づいてから、数え切れないほど自分の寿命も他人の寿命も見てきた。これまでも寿命がない人に出会ったことがあるが、それはだいたい病院での話だ。
 こんなに連続で出会ったのは初めてだった。自分の寿命が見えなかったのも。
 急に膝から力が抜けて、その場に座り込んだ。何で気づかなかったんだ。みんなの寿命が見えないということは──
「大きな災害が来るんだ。に、逃げなきゃ」
 洗面台にすがるようにして立ち上がると、ちゃんとそこに床があるのを確かめるようにゆっくりと玄関へ向かう。
 ドアノブに手をかけたところで、スマホから緊急地震速報のアラートが鳴った。まだ揺れは感じない。
「急げ。まだ可能性はある。急がな──」
 ドアを開けた瞬間、強烈な衝撃を真正面から受けて後ろに吹っ飛んだ。少し遅れて耳をつんざくような爆発音のような大きな音が聞こえた。くらくらする頭を押さえてもう一度玄関まで這っていく。さっきの衝撃のせいかドアはなくなっている。壁伝いに立ち上がると、向かいのマンションの上層階が崩れて火があがっているのが見える。
「地震、なのか?爆発?」
 何が起こったのか分からない。地震のような揺れは感じなかったが、火事と衝撃があった。一体何なんだ。全然わからない。
 そんなことより、ここも崩れるかもしれない。ふらつきながら階段に向かって歩き出した。

 マンションの他の住人と細かいがれきをどかしながら外へ出ると、帰るときに見た景色はそこになかった。
 いたるところから火が出ていて、冷たい空気はどこにもなく、熱い空気と煙が漂っている。建物から出てきた人たちが近くの中学校の方向に歩いていく列が、赤く不気味に照らされている。
 そのとき、赤い何かが横切ったような気がして、空を見上げる。煙の向こうで夜空を赤く切り裂く筋が何本も見えた。
「マジ?隕石──?」
 声のした方を見ると、煤のついた制服を着た女子高生が空を見上げて泣きながら、繰り返し「マジ?噓でしょ?」と呟いている。
 自分でもどうしてそんなことをしたのか分からないが、私はその女子高生の首元を見つめる。年輪が広がってくる。じわじわ広がる輪は、〝今〟で止まらずに未来まで広がっていく。この子は──!!
「なあ、キミ!早く逃げろ!ここにいちゃダメだ!今すぐここから離れろ!早く!!!」
 煙にむせながら精一杯の声で女子高生に怒鳴った。
「は、はい!でも、あなたも一緒に──」
「ダメだ。私は他にも誰かいないか探してくる。一人で早く逃げろ」
「それなら私も一緒に行きます」
「ダメだ!いつ崩れるか分からない。いいから早く行け!!私と一緒にいたら死んでしまう!」
 女子高生は私の剣幕に押されたのか、涙を拭い、ぺこりとお辞儀をしてから、避難場所に向かう人波に消えていった。
 これでいい。私と一緒にいたら、間違いなく今日死んでしまう。
 ほっとしてその場に座り込む。
 ああそうか、こんな気持ちなのか。
 希望があるっていうのは、こういう気持ちなのかもしれない。
 空を見上げると、赤黒い岩がこちらに向かってくるのが見えた。
 良かった。あの子のところに落ちてこなくて。
 希望が潰されなくて良かった。



七緒よう


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