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実験場ナンバー3

 運用開始から現在までのすべてのデータと、他の施設の参考データが入った鉱石メモリが破損し、実験場に降り注いだ。別のメモリをうっかりぶつけてしまった。
「あー、やってしまった。いくら長期保存しやすいといっても、やっぱり媒体そのものが脆かったらダメだよな」
 幸いこの時間の担当は自分一人だった。交代まではしばらく時間がある。ちょっと誤魔化しておこうか。
「とりあえず、仮復旧して少し様子見するか」
 残った鉱石メモリを集め、形と向きを整えてから実験場の傍らに据えると、観察と記録を続けることにした。


 カフェのふりをしたフラペチーノ店は、ほぼ席が埋まっている。パソコンを開いてビデオ通話している人、参考書らしき本とノートを広げて勉強している学生、そしてデート中と思われる何組かの男女。私たちもそんなカップルの一組に見えるのかもしれない。店員も含め、全員がボサノヴァ調のBGMのシャワーを浴びている。
 我々の話の内容はフラペチーノのように甘くないどころか、エスプレッソ寄りのような気もするけど。
 おそらく無自覚に怪訝な表情をしていたんだろう。
「ねえ、めっちゃ疑ってるでしょ」
 彼女が口をとがらせて言ってくる。
「いや、だってすんなり受け入れにくいでしょ、そんなの。岩石に記憶媒体の機能が備わってて、世界の記憶が閉じ込められてるなんて。えーっと、なんだっけ。何かのアニメ映画で水には記憶があるって言ってるのを聞いたことはあるけど。ホメオスパス?ホモスパシー?」
「ホメオパシーね。それも結局は同じことなんだけどさ」
 彼女の説明では、岩石には色々な情報を記録、記憶する力があるらしい。それが、風波流水により浸食され礫(れき)となり、砂となり、雨で流され川から海へいく。そのうち水に記憶が溶け出し、雨となってまた別の岩石にしみ込んでいく、という記憶の循環があるそうだ。
 しかもバラバラになった記憶は、循環の中で他の記憶と混ざり合い、別な新しい記憶に変化する。水分を通して生物の中に入った記憶は、変化を促し、想像力を生み出す。
 動植物の進化と人間の文化的発展の裏には、そうしたいわば『地球の記憶』みたいなものが関与しているらしい。
 こんな話を彼女は、もう一時間近く話している。
「いや、今ググってみたら、水に記憶があるって仮説は科学的反証でしっかり否定されてるってあるけど」
「そりゃそうよ。水は流体でしょ?分子がバラバラに動いているわけ。そんな状態に半永久的な構造ができるわけないじゃない。水には断片しかないの。その断片が岩石の中で結合して記憶構造を作ったり、動植物の体内でその記憶と結合したりするんだよ」
 分子やら何やら持ち出されると判断に困る。高校時代にもっとちゃんと化学を勉強しておくべきだった。
 彼女は黙る私に向かって、満足そうに頷く。その表情を見ながら、岩石の記憶自体は否定も肯定もしないけど、彼女とは距離を置こうと決めた。
 そもそも自然にそんな記憶媒体が発生するんだろうか。不自然、というより誰かの意図を感じないでもない。
 なんだか、地球というビオトープを観察しているみたいじゃないか。
 その後は適当に相槌を打って、少し雑談をしてから店を出た。店に着いたときよりもだいぶ日が陰っている。ポケットからスマホを取り出して時刻を確認すると、ちょうど16時を回ったところだった。──ちょっと暗すぎじゃないか。
 隣の彼女を見ると、上を向いてポカンとしている。彼女の視線を追って、空を見上げると電球がゆっくりと暗くなるように、目に見える速度で黒くなっていく太陽が浮かんでいる。そして、太陽と同様に光を失いつつある月が急速に小さくなり、遠ざかっていくようだった。


 鉱石メモリ破損についての私への処分は、顛末書の提出で済んだ。上司たちは、鉱石メモリ内のデータが実験場内の生物に与える影響を観察することにしたらしい。
 しかし、変数が多くなりすぎて管理不全に陥ったことと、悪影響が好影響より多くみられたことで、この実験場は、凍結廃棄されることが決まった。
 とりわけ、実験場を破壊し得るエネルギーを生み出す変化があらわれたことは、研究所内でもかなり問題となった。
 私は光源と熱源のスイッチをオフにした。徐々に部屋が暗くなっていく。
「結局このライトの周りに置いた8つの実験場全部ダメになっちゃったな。ナンバー3の実験場は上手くいってたのに。やっぱり鉱石メモリを落としちゃったのがまずかったなー。ま、始末書で済んで良かったと思おう」
 私は部屋が完全に暗くなる前に、ナンバー3の実験場のそばに浮いている丸い鉱石メモリをそっと回収すると、実験棟から出て扉を閉めた。



七緒よう

※本作品に「ホメオパシー」についての言及がありますが、推奨する意図も否定する意図もなく、フィクションの中に登場させたアイテム以上の意味はありません。

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