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過食ヴァンパイア

 世田谷美術館近くのベンチは、立ち並ぶ大きなケヤキが作る日陰で少し涼しく感じる。
 用賀駅の自販機で買ったペットボトルのお茶を一口飲んで、カバンからノートとボイスレコーダーと名刺入れを出す。
屋外でのインタビューはあまり経験がなく、少し緊張する。私はもう一口お茶を飲んでからペットボトルをカバンに入れた。
 風に葉が揺れる音が心地よい。木のてっぺんで揺れる枝を眺めていると、声を掛けられた。
「あの、沢田さん、ですか?」
 声のした方に目を向けると、異様に大きな白いトートバッグを持った女性が立っていた。鎖骨のあたりでくるんとはねたセミロングの黒髪のその女性は、顔立ちに特徴はなく、若い50代でも老けた30代でも通用しそうだった。紺の地に細かい花柄があしらわれたワンピースで体型ははっきりしないが、裾から伸びる細くて白い脚を見る限り、瘦せ型であろうことが想像できる。
「はい、沢田です。伴さんですか?」
「そうです。すみません、こんなところにお呼びだてして」
 少し間延びしていて、か細い声に力が抜けそうになる。
 私は名刺入れを掴んで立ち上がり、腰を折りながら挨拶をした。
「いえ、大丈夫です。こちらこそお越しいただきありがとうございます。フリーライターの沢田瑞希です。今日はよろしくお願いします」
 伴さんも同じように腰を折って、私の名刺を両手で受け取った。
「伴カイアです。よろしくお願いします」
「どうぞお座りください。砧公園って初めてきましたけど、気持ちの良いところですね」
 私は自分も座りながら着席を促した。伴さんも会釈をしながらトートバッグを抱くように抱えて座った。
「ええ、私もここが好きでよく来るんです」
 伴さんは、私と目を合わせずに笑った。
「あらためて伴さん、今回の取材を受けてくださりありがとうございます」
 私と伴さんは、本題に入る前に雑談をした。今日の天気のことから始まり、砧公園のこと、休日の過ごし方、それにお互いの仕事の話など。伴さんの弱々しく少し間延びしたテンポと迂回しがちな話し方と気持ち良い空気が、眠気を呼び起こしそうになっていることに気づく。
 私は雑談を切り上げ、伴さんの許可を得てからノートとペンとレコーダーを取り出した。レコーダーのスイッチを入れると、自分の中の仕事スイッチもオンになった気がする。
「では、インタビューを始めていきますね。事前のメールでもお伝えしていますが、記事にお名前が出ることはありません。ご希望でしたら性別も不詳にしますし、原稿は伴さんに確認してもらってから入稿しますので、その辺はご安心ください」
「わかりました。私みたいな人がいることをちゃんと知ってもらうことは、きっと私のためにもなると思うので、無理に隠さなくても大丈夫です」
「ありがとうございます。では、単刀直入にお聞きしますが、伴さんは、その、『ヴァンパイア』なんでしょうか」
 ゴールデンウイーク明けの晴れた昼間に、帽子もかぶっていない女性に向ける最初の質問としては、あまりに場違いな気がする。
「はい。そう言われることがあります」
 伴さんは、一度言葉を止めて息を飲む。
「最近入った自己啓発のグループで、よく言われるようになりました。あ、自己啓発と言ってもアヤシイ感じではなくて、講師の人が本来の才能を引き出してくれるようなやつです。そういうの何て言うんでしたっけ」
「コーチング、とかですか」
「そうそう、そうです。それで、受講生が10人くらいいるんですけど、近況や日常で感じたこととか最近あったこととか、そういうのからの気づきとかを話す時間があって、そこで指摘されます。あ、近況と最近あったことって同じですね」
 私は「そうなんですね」と相槌を打って次の質問を投げてみる。
「具体的に、どういう感じで『ヴァンパイア』だと指摘されるんですか」
「それは、えーっと、気づきとかを話した後に、受講生と講師からフィードバックをもらうんですけど、その時に私の話し方とか内容とか話す時のエネルギー感とか、そういうのをひっくるめて、『エネルギーヴァンパイア』になっているから気をつけてください、って感じで」
 私はノートに『エネルギーヴァンパイア』と書き留めて、丸で囲む。伴さんは緊張が解けてきたのか、心なしか言葉に力強さが感じられるようになった気がする。
 その講師たちの指摘も分からないでもないが、そのことは口には出さずに質問を重ねる。
「もう少し詳しく教えていただきたいんですが、『エネルギーヴァンパイア』とは、つまりどういうことでしょうか」
 伴さんは抱えていたトートバッグを脇に置きなおして、空になった両手をぐっと握りしめた。
「まさにこういうところなんです。私の話って、要領を得ないというか、伝わりにくいというか。私としてはちゃんと感情とかエネルギーを乗せて、伝わるように話しているつもりなんですけど、相手にとってはそうじゃないみたいで。それで、ちゃんと聞こうとすると疲れるとか、エネルギーを吸われるとか言われてしまうんです」
「聞き手のエネルギーを吸い取るから、『エネルギーヴァンパイア』ということなんですね」
 伴さんはたっぷり間を取ってから「そうです」と、それまでよりも力強く答えた。
 ムクドリの群れが空に砂利をばらまいたように飛んでいるのが見える。伴さんの話も、バラバラになりそうで、しかもあちらこちらへ揺れ動くような印象がある。

 その後、私たちは1時間ほど話をしてから別れた。

「で、どうだった?『ヴァンパイア』は」
 公園から十条にある自宅アパートに戻り、クライアントでもある由実果とZOOMを繋いぐと、彼女からいきなり聞かれた。
「すごく疲れた。でもさ、由実果から聞いてたのとちょっと違ったよ」
「え?どんな?」
 私はノートのメモをデスクに広げる。ページを開いたときに、少しだけ砧公園の緑の匂いがした気がした。
「由実果が参考資料として送ってくれたリンクにはさ、なんていうか高圧的に負のエネルギーをぶちまけてくる人を『エネルギーヴァンパイア』って定義してたでしょ。でも、伴さんは全然高圧的じゃなかったの」
 由実果が画面の中で身を乗り出してくる。
「え、でもさっき瑞希は疲れたって言ってたよね」
「うん、エネルギーを吸われるっていうより、過剰にエネルギーを使わせるって感じなの」
「それは──亜種なのかしら」
 思わず「ふふっ」と笑ってしまった。
「そうかもね。だいたい『エネルギーヴァンパイア』って言われてる自覚があって、インタビューに応じるなんて、普通の『エネルギーヴァンパイア』とは違うのかもよ?」
「そっかー。迂闊だったなー」
 伴さんは由実果が働くネットメディアの読者だった。『エネルギーヴァンパイア』についてのアンケートに答えた人に由実果が連絡し、インタビューに応じてくれたのが、伴さんだった。
「伴さんと話してて思ったんだけど、『エネルギーヴァンパイア』って2種類いる気がするの。資料の記事にあったみたいな、高圧的で文字通りエネルギーを吸ってどんどん元気になるタイプと、伴さんみたいなタイプ」
 私はそこで一息ついて、ノートのメモを見ながら続きを話す。
「伴さんみたいなタイプは、吸うんじゃなくて与えるの。無自覚な嘘とか論理的に変な話とか、そういう不純物まみれのエネルギーを相手に過食させる感じ。結果的に自分の不純物を外に出すから、本人は元気になるかもしれないけどね。だから、聞き手に過剰にエネルギーを使わせるの」
「なるほど」
 画面に視線を戻すと、由実果のつむじが見える。何かメモをしているようだ。
「普通の人、あえてこういう言い方をするけど、普通の人はそういう不純物が少ないから、少ない量でも十分伝わるの。でも伴さんみたいなタイプは、純度が低いから大量に出さなきゃだし、その消化を相手に強いる感じなんだと思う」
「いいね。そっちのヴァンパイアはまだ世に知られてないから、そっちメインでいこうか。タイトルはこっちで考えておくから、瑞希は新種のヴァンパイアについての考察と、その対処法について、インタビューをベースにして書いてよ」
「分かった。やってみる」
「よろしくー。それじゃ、書けたら共有して。私もタイトル案を後で送っておくから」
「うん」
 由実果のテンポの良い話し方で、少し元気が出てきたような気がする。
「あ、瑞希。今日は早く寝てしっかり回復してね。お疲れ様」
 画面の向こうで由実果が手を振りながらZOOMを閉じた。
 私は「あー、つかれたー」と言ってベッドに倒れこむ。目を閉じてゆっくり30数えてから「よしっ」と気合いを入れて、キッチンへ行く。
 帰りにスーパーで買った新生姜をまな板に乗せて、これから作る新生姜のしょうゆ漬けの味を想像して、また「よしっ」と気合いを入れた。



七緒よう
 

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