兄に通報される

障害児のきょうだいを持つ者をきょうだい児と言うそうだ。

前回書いたように、私には障害を持った兄がいる。

障害者を区別しているわけではないけれど、きょうだい児であれば誰でも疎外感を味わったことがあるのではないか。

親がきちんと障害児、健常児と区別せず愛情を持って接していれば別だけど。

私は障害者の施設でボランティアをしたこともあり謙虚な方がたくさんいるのも知っている。

だから兄のような人を見ると腹立たしくなる。

母は兄や男に忙しかったから、私は早く家から出たかった。

海外に住んでいる私は今回十何年ぶりに兄と同じ屋根の家に滞在することになった。

最初の数日間は問題はなかった。

ただトリガーになったのが、その時私はコロナの後遺症で味覚嗅覚があまりなく、

「医者行った方がいいってお兄ちゃんが言ってる」と母に言われたこと。

兄も「行けよ、俺は見えるんだ(幽霊的なことだと思う)」と言っている。

心の中で『またか、この二人はいつも組んで話している』いつもの疎外感を味わった。

それから私の心は壊れていった。

思い出したくないことを思い出し、なんで私がこの二人に対してこんな気持ちになるのかが鮮明に思い出される。

性的被害、健常者としての立場、母の愛を受けずに育ったことなど頭がぐるぐるするくらい。

私はひとつ前の記事に書いたけど、悪くなくても私がいつも悪者。

兄をいつも庇う母。その絵がいつも出来上がっているのだ。

私が食べたいものはどっかのスーパーの惣菜で済ますのに、兄が食べたいと言うものは指定の店に買いに行く。

去年、日本に帰ってきたかったのだが、母に「おばあちゃんち片付いてないし水道ないからだめ」と何度も言われ諦めた。

早く祖母に会いたかった。

だけど兄が退院となればすぐ祖母宅の祖母の部屋を使えるように準備していた。

なんで祖母のものを全て捨て、兄が占領してるんだ、と思えてしまう。

10年前、甲状腺機能亢進症で日本に以前2週間ほど帰ってきたときのこと。当時住んでいた国の医者から処方された薬が効き始めたくらいだったけどベッドから出れずにいたら祖母が一回住民票を戻して保険証で日本の先生に診てもらいなと提案してくれた。

体がだるく動かないながら市役所に行って住民票登録し、電車に揺られ都内の有名な専門病院にお世話になった。

その時私は保険料を払うつもりでいたのだけど、2週間という滞在で納付書が届かず、おそらくそれが母の元へ届いたよう。

母は祖母に「なんであの子の保険料を払わなきゃいけないの」とすごい剣幕で電話をしてきたそうだ。

その後祖母から電話があり「ごめんな、でも心配するな。おばあがお前のことを守るからな」と言ってくれた。

それを知った私はやっぱり私はいらない人間なんだ、と何度思ったことか。

でも祖母の与えてくれる愛、うれしかった。

祖母に何かあったら私も祖母を守ると決めた。

幸い現在居住している国には心を許せる友人がいて、今の状況をわかっているものもいるので泣いて電話してもいつでも聞いてくれる。

性的被害や兄妹間の差別などどんだけのPTSDに苦しめばいいのだろう。

母は最近夫婦同然の男の子供の結婚式に継母として出席したようだ。

私にはご飯も作ってくれなかったのに、そして私には私に子供ができても面倒は一切見ないと言っていた人なのに、継母として参列したのが嬉しそうに、「私たちは夫婦同然」報告してきた。

母に男ができるたび、何度「母が取られる」と思ったことか。

生まれてきてごめん、でも何で産んだん?とさえも思えてきてしまう。

私はだいぶ前に子供を持たないと決めていた。

面倒見ないと言われたことがショックだったのもあるけど、私には性的被害のことが頭から離れず、子供がもしかしたら同じ目に遭うんではないかと思うとどうしても子供を持つと言う選択ができなかった。

親から言われたことが今色々思い出され、なんであんなことを言ったんだと言っても言ってないわよ、と言った本人は忘れるけど言われた方は忘れない状況になっている。

そして嘘も平気でつく。

自分を常に正しいと思いたい人なんだな、と思った。

そして私は今この状況で心がズタボロで、ドアを蹴ったら兄が警察に通報していた。この人は警察に通報するしか能がないのかとさえ思えてくる。しかも2回目。

警察に逮捕でもなんでもしてください。私は真実しか言わないから、と私。

そして警察は大人数で来た割に終いには「仲良くできないかな」と言う。

私の状況わかってるのかな、警察さん。

同じ経験を味わったことない人だとわからないか。この辛さ。

PTSDがどんなもんかもわからないんだね、警察。

今の状況を心配して友達から連絡くるのだがいつも『Te quiero / te amo = I love you』と言ってくれるので心が温まる。

施設に入っている祖母に会いまくったらもう出ようと思う。

帰国前、婦人科系の手術を受けていて主治医からは動きすぎるのは良くないと言われたのだけど、精神衛生をとるとこの家(祖母の家)を出るのが賢明なんだな、と。祖母とのたくさんの思い出が詰まっている家だけど。

私と私を産んでくれた人と、私より早く生まれた人とは生きている世界が違うのだ、と言い聞かせる。

もう何も期待はしない。

母は「なんで歩み寄れないの」と言うけど、私が性的被害のこと言った時、何もしなかったよね。電話もガチャンと切られたし。

祖母の介護を2年した時も電話しても2年間一切でなかった。

祖母が「どうしてあんな奴になってしまったんだろうな」と言っていたのが
忘れられない。

今回の帰国で25年ぶりくらいに母のことをちゃんと見た。

老けたなって思ったくらいで何の感情も湧かなかった。

もういい大人だから大丈夫うまくやれると言い聞かせて帰国した。

でもいい大人になろうが子供の時の傷は一生消えないのだな、3週間過ごして思った。

そして今回の帰国で何度も言うように何も期待しないで私の家族は祖母だけと生きてくことを決めた。




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