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看護の解釈を考える 5月18日は#ことばの日

自分にフィットしない看護の解釈

看護→白衣の天使

長年、ずっと定着してきた世間の看護のイメージはやっぱりこれだろう。

語源はどうやらナイチンゲール時代の「クリミアの天使」から。

医療者がいない飲み会の席では、どうしても、いつもニコニコしていて優しい「白衣の天使」のように見られてしまう。

本当は、緊急入院のときなんて、鬼軍曹のような顔で、髪の毛振り乱して働いているし、

16時間の夜勤明けなんて、げっそりして、ボロボロで、

あれ、天使の羽どこいった?ってかんじよ本当に。

だから、私はこの世間の「白衣の天使」のイメージがどうしても窮屈だった。

「足が細いね」って周りから言われていて、本当はボタンも外してチャックも途中までおろして無理矢理スキニージーンズを履いているみたいに。

言葉の企画 に参加して

そんなとき、2021年5月16日に行われたこちらのYouTubeセミナーに参加。

ちょうど一年前、コピーライターの阿部広太郎さんが執筆されたこちらの本↓

をきっかけにどハマりし、「阿部広太郎」と名前がつくセミナーには有料・無料問わずなるべく多く参加してきた。

そしてまた、5月18日に「ことばの日」を迎える。

5(こ)1(と)8(ば)の語呂からきているとのこと。

語呂がいい…誰かにことばをプレゼントしたくなる。

自分の仕事に名前をつける

今回のウェビナーのテーマは『解釈』だった。

新刊がまさに、『解釈』に関連する話だそうで、


ウェビナーのなかのミニワークショップで、こんな問いが投げかけられた。

「自分の仕事に名前をつけると?」

仕事に名前をつける、なんて発想自体にはじめは戸惑った。

看護師は、看護師だ。それ以上でも以下でもない…

でも、そこにあえて、「自分の解釈で名前をつける」というところに意味がある。

ウェビナーの視聴者の回答は本当に様々で、目から溢れんばかりの鱗状態だった。

和菓子屋さんのバイトを、「美味しい四季のメッセンジャー」(勝俣実那さん)と表現したひとや、マーケターを「ヨハクの第一発見者」(Kirara Murataさん)と言ったり、警備員を「当たり前の幸せの番人」(Luke Uさん)と、その職業を知らなくても手に取るようにその大切な役割を感じ取ることができる。

ああ、ことばってやっぱりすごい。あまりの感動に胸が熱くなる。

いろんなひとが、いろんな解釈で自分の仕事と向き合っている。

嫌なことももちろんあるのは当たり前だけど、あるひとは誰かの当たり前の幸せを守るため、またあるひとは四季折々の和菓子を届けるため。

そういう「解釈」が、自分を守り、明日への活力となるのだろう。

その解釈がネガティブなものだらけになってしまったら、次のステップを考える時なのかもしれない。

看護に名前をつけてみる

ミニワークショップを受けながら、ノートに頭に浮かんだ言葉たちを書き留めていく。

私が書き留めたものをいくつか紹介する。

看護師とは→

ツナグプロ

 → 患者さんと家族、患者さんとドクター、他職種などさまざまな間柄をツナグことに対してのプロフェッショナルだから

生活寄り添い人

 → 看護師=生活に寄り添う という大切な役割を尊重して。必殺仕事人とちょっとかけてみたり。

可能性のトレジャーハンター

 → 患者さんや家族の「できること(セルフケア)」に焦点をあてて、可能性を引き出せる力があるから。それはまさに宝探しのトレジャーハンターに似ているなぁと。

誰かの苦しみの雨宿り

 → 入院期間=雨がやむまでの雨宿り みたいなインスピレーションから。苦痛を取り除いたり、サポートすることが雨宿りに似ているため。

人類の究極の味方

 → ざっくりしてるけど、看護って結局は「人間」を一番理解しようとしたり、そばにいたり、と究極の味方なんじゃないかなと思うし、そうありたいなって個人的に思うから。


こんなかんじで、どの「名前」も、私がそうありたい看護師像を表していて、よっしゃあ頑張るかって気持ちになってくる。

看護の仕事ってなんだろう、と改めてじっくり向き合う時間にもなった。

やっぱりことばって無限のパワーを秘めている。

家族に言われたことば

年明けに、ばあちゃんが大腿骨骨折でオペをして入院をした。

コロナで面会もできず、じいちゃんも母も毎日オロオロしていた。

私は皮肉なことにニューヨークに戻ったばかりで、そばで支えることもできなかった。看護師なのに。

でも、支えてくれたのが入院先の看護師さんたちだった。

母やじいちゃんが電話口で嬉しそうに何度も言っていた、

「看護師さんたち、ほんとに優しいんよ。いつもニコニコ感じが良くて、面会に行けないから代わりに様子を教えてくれてねぇ、天使みたいやった」

私は「天使」という言葉にひっかかりながら応える。

「じいちゃん、看護師さんたち忙しいんだからあんまりしつこく聞いちゃだめだよ?家族対応に追われて大変なんだから…ニコニコしてるかもしれないけど、本当はめちゃくちゃ忙しいんだから…」

内部を知っているからこそ、私は看護師サイドに立ってしまう。

天使なんかじゃない。本当は、みんな人間なんだから、忙しいときに家族から電話かかってくると「後にしてくれればいいのに…」って思ってしまうし、何度も病状を聞かれると「これ以上は私達からはお伝えできません」って断らなきゃいけないときもある。

昭和の堅物じいちゃんが「ばあさんはどうだ?」と遠慮することなく聞きまくっている姿が容易に想像できたし、そういうのが痛いほどわかってしまうから、咄嗟にでた言葉だった。

24時間、365日、命と隣り合わせの現場で天使ではいられないのだ。

でも、ふと思った。

これって、じいちゃんから見た看護師の姿じゃないか。

「天使」と表現したのは、じいちゃんの解釈だ。

阿部さんが話されていたこのフレーズが胸に刺さる。

だれかの解釈にしばられない 自分の解釈で生きていくために 

私には私にだけの看護の解釈があるのと同じように、

じいちゃんにとって、看護師さんから受けた看護は「天使」そのものだったのだ。

私は無意識に、あるいは意識的にその解釈を否定しようとしたのかもしれない。自分の解釈で縛るために。

看護師が「天使」と世間から思われているのなら、それは誇りに思えることだと私の解釈がまた変わる。

ウェビナーのなかで阿部さんは、「解釈は変わり続けて大丈夫。」と言っていた。その時、その瞬間に、自分自身が感じたもの。

大好物の甘い物をとりあげられて看護師を「鬼」だと解釈する患者さんもいるだろう。

辛いときに手を握ってくれた看護師を「母」のようだと解釈するひともいるかもしれない。

働く側も同じように、

「地獄の労働者」とまで思ってしまうひとがいるかもしれない。

従来より言われている3K(きつい、汚い、危険)の解釈以外考えられないひとも。

でも、私は私の解釈で生きていきたいから。純粋に、看護という世界にまた飛び込みたいから。ことばの力を借りて、自分の軸を大切に、進んでいきたいと思う。

私がだれの解釈も否定できないように、

誰も私の解釈は否定できない。


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阿部さんの新刊、『それ、勝手な決めつけかもよ?』早く読みたい!











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