見出し画像

イメージの崩壊について

「ずっと憧れていた人がいたけれど、実際に話してみると感じが悪くて幻滅してしまった」「想像していた人柄と違って驚いた」など、”憧れていたときと実際のイメージが違った”という話はよくあるが、その逆もある。最近人づてにそういう話を聞いた。

「ずっと憧れていた人のお店に遊びに行ったら、すっごくいい人で、物腰も柔らかくて、憧れていた頃の刺々しくカッコいいイメージが崩れてしまった…」という話だ。わたしに話をしてくれたその人は、どうやら相手の近寄りがたい硬派な姿に憧れていたようだ。


良くも悪くも、誰にだって”イメージが崩れてしまう瞬間”というのはある。


わたしは高校生の頃、いつも同じ電車に乗り合わせる、別の高校に通う男の子をステキ!と思っていた。寡黙そうな顔つきで、いつも静かに本を読んでいる人だった。
そんなある日電車に乗ると、その男の子のほかにもう一人男子高校生がいた。どうやら男の子と同じ高校に通う友人のようだ。そして彼は、いつものムッツリと一人で本を読んでいるときの表情とは一転して、歯を見せた満面の笑みで友人と話をしていた。そんな姿を見たのは、初めてだった。
――それからというもの、わたしはなんとなく彼に興味がなくなってしまい、「憧れ」は終わったのだった。きっとわたしは、ただ黙々と本を読む、気難しそうな彼の姿に憧れを抱いていたのだろう。


イメージを持たれること、それが勝手に壊れることは、どうしようもない。その反面、何かしらの創作活動等を通じて、自分に”持って欲しいイメージ”を周りに植え付けることもできる。しかし、一度頭の中に入り込んだイメージは、なかなか変えられない。考えれば考えるほど『イメージ』というのは厄介だ。

わたしが『イメージ』に関して危惧していることといえば、実際に接触した相手に、自分がひどくポンコツだということを知られ、ガッカリされてしまうことだろうか。いや、もう今となってはそんなことも、あまり気にしていないかもしれない。とはいえ、今後もなるべく見た目通りに、創作物通りに、そのまま生きていければ良いなと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?