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拝啓、痛々しくも愛おしいあの頃の私たちへ

10代の頃にめちゃくちゃ好きだったバンドの音楽を、大人になってから聴いてみるとダサかった、というほど嫌なものはない。
そういう経験は、恥ずかしながら少なくない。
足を洗ってしばらく経つけれど、私はバンギャルだった。

バンギャルという言葉が今の世の中でどれほど伝わるのか分からないけれど、ヴィジュアル系バンドが好きな女の子たちを指す言葉だ。
私の青春とは、お化粧をしたバンドマンたちに恋をして、重低音きつめの爆音に身を預けて、頭を振り乱し、拳を突き上げたあの頃のものだ。

もうすぐ10代が終わろうとしている頃に好きになり、つい最近まで好きだったバンドに、私は音楽の楽しみ方を教わった。
それは、特別な知識が身についたということではないけれど、それまでライブの非日常感に没入して暴れ散らせればいいと思っていた私に、歌詞やメロディだけでなく、1曲の中にある構成や各パートの出城を味わうことを教えてくれたということだ。
ただのBGMだったものを音楽に昇華させてくれたのは、間違いなく彼らだったと思う。

だから、彼らに出会う前に聴いていた音楽の中には、今聴けば何がいいのか分からない、好きだったと言うのも憚られるようなものもある。悲しいけれど。
先日友人たちとカラオケに行った時、懐かしさにのせられて入れた曲の恥ずかしさに、途中で心が折れた。

だけど、中には、今でもやっぱり好きだと思わせてくれるバンド、信じてよかったと思わせてくれる音楽がある。
私の人生において、何よりも大切だと思っていた音楽はやっぱりかっこよかった。
そう思わせてくれたアヲイというバンドの話をしたい。

1.アヲイというバンド

バンギャルの中にも、もしかしたら、知らないという人もいるかもしれない。
調べてみたら、これがアヲイですと紹介できる、公式のものはネット上から消え失せていた。(仕方のないことかもしれないけれど、めちゃくちゃ悔しい……)
アヲイは、2004年から10年間活動していたインディーズバンドだ。
私の中の記憶も、正直全てが明瞭かと言うと、そうはいかない。
本当に悲しいけれど、きっと忘れてしまっていることの方が多い。
アヲイは、今から8年前、2014年10月22日の大阪BIGCATでのワンマンで解散した。
ヴォーカルのオトギが作詞全般と作曲のメインを務め、ギターの慎・翔。、ベースのサキ、ドラムのRyoも作曲を手がけた。
アヲイは何度かメンバーチェンジをしているが、私が好きだったのは2009年以降、ライブに通い詰めていたのは2010年以降の解散時の上記メンバー構成だった頃だ。

初めてライブに行ったのは、そのメンバーでの初めてのワンマンライブが行われた、目黒鹿鳴館だった。
あの日の狂乱は、きっとこの後に書くことになるとは思うが、珍しく明瞭に覚えている。

今自信を持って言えることがあるとすれば、音源もライブDVDも買える方法は残っているようなので、一度でいいから触れてほしいということだ。
最悪、アヲイを好きな女たちの残留思念みたいな違法アップロードがYouTubeにあがってるから、それでもいい。

「哀愁ラウドネス」というテーマを打ち出し、言葉の力が強いバンドだった。
直截に本質をつき、本当に大切なことを伝える強さのある楽曲たちだった。
それを貫き通せるサウンドの幅と重さ、芯があった。
演奏の上手い下手は私には判断しかねるけれど、今聴いても古くないし、特に2010年以降は音にも厚みがあって、初めて聴いた人を後悔させない自信がある。
何せ、私が人生をかけて好きだったと、胸を張れるバンドなのだ。(それがなんぼのもんじゃい、ということは、棚に上げさせてほしいけれど。)
今からだって1人でも多くの人に届いてくれたら嬉しい。
生きずらさを持つ人たちを掬い上げるメインカルチャーになってほしい。

解散ライブの時に、彼らは言った。
「バンドが無くなっても、音楽は無くならない。アヲイの音楽が好きだと言う人の中で音楽が流れ続ける限り、『無くならない歌』はそこに在る」と。
解散ライブの夜、遠征先のホテルで、ずっとアヲイを一緒に見てきた友人と泣き続け、床に倒れ伏したまま眠りについた。
朝を迎えてから最近まで、私はアヲイに触れることを恐れてきた。
私にとってあまりにも大きなものを失ったという感覚が強くて、聴くと思いが溢れてきてしまいそうだったから。
だけど、彼らが残してくれた音楽は、私の中で確実に流れ続けていたんだと、今やっと思えるようになった。
彼らの奏でていた音や、そこに込められた言葉を背骨にして、私は立っている。
何者にもなれず、世の中全てを疑ってかかり、子どもは愚かで大人は敵だと思っていた、死にたがりの女の子だった私を今まで生かしてくれたアヲイの音楽を、絶やさずにいたい。
どうか、どうか、届いてほしい。

2.アヲイに生かされていた、生かされている

10代の頃が1番楽しかったなんて言う人は、信用ならないと思っている。
家庭や学校といった狭い社会の中で、抑圧されつつ、抜き場所を見つけることさえ許されないのが10代だろう。

これまでほかの記事や小説の中で書いてきたが、私の子ども時代は、死にたさとの戦いの時代だった。
家庭環境的にも、身体的にも、私にはあまりにも制約が多く、子どもという存在の無力さに日々打ちのめされていた。
子どもには自分で所有できる人生がない、だけど、所有していないものを勝手に捨てることもできない。
自分を不幸だったと言うつもりはないけれど、あの頃の私は、自分が幸福だと思うにはあまりにも多くの苦しさを抱えていた。あの頃の私には背負いきれないものだった。

そんな中で出会ったのがヴィジュアル系で、またまたその中で出会えたのがアヲイだった。
まだ公式アカウントなどはない頃だったので、誰かがYouTubeに違法アップロードした曲がたまたまサジェストで出てきたのだ。
その時、「ここで閉ざして」という曲名に惹かれ、再生して30秒以内に私の心はアヲイに同調した。
歌い出しから、このバンドは私のことを分かってくれていると、勝手に勘違いさせたのだ。

「ここで閉ざして」
ー雨がやまないのは 僕が泣いてるから この雨に溺れて 死んじゃえばいいのにね

私が感動したのは、雨の日に死にたくなってしまう気持ちだけを掬いあげてくれたことだった。

ヴィジュアル系という畑のせいか、自殺をモチーフにした曲は多くあった。
きらきらとした入水自殺、愛する人との煉炭心中、浴室でリストカット……
どんな風に死んでいくかを歌う曲は多かったけれど、それは私には何の慰めにもならなかった。
死に期待する反面、そこに誘われてはいけないという強い意志が私にはあった。
むしろ誘われてしまった方が楽だったけれど、私には死ねない呪いがかかっていたので、死にたさと戦わねばいけなかったから。
だから、そういう曲を聴くと、簡単に死ねる人間で良かったですね、と嫌悪感を感じた。

だけど、「ここで閉ざして」は、死にたい気持ちを否定せず、だけど死ぬ行動に移さない自分を、そのまま表現してくれているように感じた。
ベースの不穏な音とともに流れ込んできた言葉に、私は心酔してしまった。

そこからは早かった。
YouTubeで聴ける楽曲を聴き漁り、それが収録されている音源を調べ、お小遣いを貯めて少しずつ買い足していった。
どうしても欲しかったけれど、流通しておらず、フリマサイトでプレミアム価格になってしまっていた『無くならない歌』というミニアルバムが、私が初めて買ったアヲイの音源だった。
そこには、私の欲しかった言葉、言葉にもできていなかった痛みの全てが詰まっていた。
私がまだ子どもの身体では支えきれず、捨てたいと思っていた命を、『無くならない歌』は強く引き上げてくれた。
先ほどあげた「ここで閉ざして」と、もう2曲収録されているこのアルバムは、今でも私の宝物だ。

・「鈴虫」
ー弱虫の僕が嫌いで 泣き虫の僕も嫌いで 踏み潰して唾を吐いた
ー開放された籠の中には 密閉された僕が居たんだ 何処にも行けずにただ泣くだけ

・「生キル為ノ歌」
ー本当は生きたい だけど 怖くて仕方ないんだね 弱くても生きていいから そんなに泣かなくていいよ
ー忘れないで その手の痛みを 忘れないで 残った傷跡を 君は弱虫で泣き虫だけど そのまでいい そのままでいい
ーそれでも死にたいだなんて思う日があってもいいから どうか生きてください

『無くならない歌』は、奇しくもアヲイの解散ライブのタイトルにもなった言葉だが、その名の通り、1枚のCDに込められている歌は、私の中に残り続けている。
解散してしまった今も、決してなくなることなく、私の背筋になっている。
生きることも死ぬことも選べない、死にたいけれど生きなくちゃいけないことも分かってる、そんな子どもだった私が、こうして今大人になって、生きてみてよかったと思っているのは、間違いなくアヲイのお陰だ。

そして初めて行ったライブ(あるいは、その前日にあったインストアイベント)で、私はそこから約5年の月日を共に過ごす友人を得る。
同じものが好きという共通点があること、そして何より、家庭にも学校にも関係の無いところで関われる友人ができたことが、より私の心を強くしてくれた。
正直、初めて行ったライブは、その日出会った友人たちと並んで、時には手を繋いで見ていたことが何より印象に残っている。
まだ知らない曲も多かったライブで、知っている曲が聴けたことは嬉しかったけれど、それより、同じ曲で感動したり、飛び跳ねたりする友人がいることが、あまりにも嬉しかった。
1人じゃない、ということを、言葉の通りに飲み込むことができる、初めての経験だった。
この日初めて聴いた「コトダマ」という曲は、その時隣にいた友人の大切な曲だった。
そして、一緒に手を震わせたあの瞬間から、私にとっても大切な曲になった。

・「コトダマ」
ー一人の夜、思い出した 最後の言葉を 胸に抱いた 心臓まで届け 刺さる声と痛みだけが夢の続きなら 僕は何も怖くはない
ー手紙にすれば三行の思い 言葉にすれば三秒の思い 歌にすれば三分の思い 巡り巡って幾千の痛み
ー目を開けたら手を伸ばした 宛もないままで いつか届く いつか届く 声が この声が

こうして、私は少しずつ、自分が生きるための指針と居場所を見つけていった。
全部全部、アヲイがくれたのものだ。
もう解散してしまったバンド、現状生では見ることできないライブ、それによって疎遠になっている友人……
もらったものが大きい分、今ここにないことが堪らなく悲しい。
けれど、あの時の私は確実にアヲイに生かされていたし、その経験が、今も私の中から「無くならない歌」が、今の私を生かしていると思う。

3.「目を閉じたらここに居るよ 聞こえますか」

あの頃、一緒にアヲイのライブに行っていた友人たち各位へ
もう何年も顔を合わせていない、連絡先を知らないどころか、SNSですら繋がっていない人も多いですね。
みんな、生きてますか?笑
それぞれ他のバンドやらアニメやら2.5次元やら、他のなにかに気を狂わせて、元気にしてますか?
もしかして、結婚しだり子ども産んだりしちゃってたりしますか?
勘弁してくださいよ、そんな冗談。私だってしてないのに。
元々癖の強い、そしてメンヘラ気質な集団で、迷惑かけたりかけられたり、勝手にキレたりキレられたり、アヲイ解散前から空中分解が進んでましたね。
まあみんな若かったし、今となっては笑い話ですけど、その節はごめんなさい。
そして、私に謝ることがある人は、まあ今更ですけど、謝ってくれたっていいんですよ!
謝られるようなことがあったとしても、1つ2つしか覚えてないですけど。

四六時中ではないけれど、私はたまにみんなのことを思い出しています。
会いたいなって思ったりしてます。
正直、私にとっては、結びつき方が単純な趣味の友達の域を超えていて、会わないし会えないみんなを、今でも特別な存在に感じています。
オトギのコスプレをしていたあなたは、いちばん一緒にいたし、何かと助けたり助けられたりが多かったですね。自他ともに認めるメンヘラわがまま野郎でしたけど、そこが好きなんで、変に大人になってなくていいですよ。まだまだガチ恋に人生を狂わせてください。
高校でアメブロのライブレポ先生に音読されて退学になった全身MARSのあなたは、SNSで生存が確認されているので、大して言うことは無いです。今は自分の生き方ができているように見えるので、お互い大人になれて良かったねって思ってます。
赤だの紫だの緑だのすぐ髪色が変わる耳と顔面が穴だらけのあなたは、今一体どこでなにしてるんですか?大晦日LIVEの後に、酒飲んだくせにピアス増やすから血まみれになりやがって、高校生の私にはトラウマでした。私は今でもあなたのせいでピアスは開けられていません。どうしてくれる?!
よくデートしてくれたのにいきなりSNSやらLINEやらブロックして消えたあなたは、あの時は面倒に巻き込んで申し訳なかったと反省しているので、許してください。この前実家に帰ったら、お揃いで買った目玉の指輪が引き出しの奥から出てきました。それはさすがに捨てましたけど、あなたにはいつかまた会いたいです。許してくれれば。
確か1つ年下だったあなたとあなたは、私が大学受験に必死こいてるうちにいなくなっちゃいましたね。何があったんですか?まだあの半グレみたいな男の子と付き合ってますか?キッチン鋏で無理やり玉ねぎ切ったりしてますか?健やかにヤンチャしてくれてたら、お姉さんは嬉しいです。
他にも深くは知らないけど、一緒に過ごしてきた有象無象のあなたたち、何故か優しくしてくれた仕切り、たぬきで色々晒してくれたくそ野郎ども、みんな元気にしてますか?

いい思い出ばかりではないし、いい思い出こそ今となってはイタくて思い出したくなかったりしますけど、今は私の中で、あなたたち以上に愛おしい思い出は無いんですよ。
嫌ったり嫌われたりしながら、あなたたちと同じライブに熱狂していたあの時間が、あの頃の私の全てだったし、今の私の青春なので。
アヲイ、本当に良いバンドでしたよね。
色々あったけれど、楽曲にもライブにも裏切られたことなかったですよね。たぶん。
ワンマンライブは勿論ですけど、対バンになるとめちゃくちゃ燃えて、誰よりも盛り上がろうとしてたあなたたち、かっこよかったです。
ライブで盛り上がりすぎて、鹿鳴館の椅子をぶち壊したという武勇伝は、バンギャル人生後にも先にもあなたたちだけでしょうね。完全にどうかしてます。
割り込みも場所取りも許してないですけど、それでも、大好きでしたよ。そこだけは。
きっと色んな生き方をしながらも、アヲイのライブのあの瞬間以上のものはなかったって、みんな思ってるんじゃないかなって。あの瞬間をもう一度、と願ってるんじゃないかなって。
もう顔を曖昧なあなたたちのことを、勝手にそんなふうに思ってるんです。
あながち間違ってはいないのではないですか?知らんけど。

また、今世にそんなことがあれば、またバチバチにやり合いましょうよ!馴れ合いは不要です。
私はもうあんなにヘドバンする体力はないし、デスボも出ないけど、きっとあなたたちも四十肩とかでしょ?
もし、サキさんがラストライブで約束してくれた、あっちへ逝ったあとそうなったら。
肉体の不自由からは解放されてるでしょうから、思う存分やり合いましょう!馴れ合いは不要です。
私より随分先に向こうにいる奴がほとんどでしょうけど、若手が来るまで整列してお待ちください。
身内のあなたたちは、それこそ今世中に会ってくれてもいいんですよ?その時は馴れ合い大歓迎です。(また喧嘩するかもしれないけど、それもまた良し!)

アヲイメンバー各位
できることなら、生きているうちに、もう一度だけでも、あなたたちのライブが見たいです。
サキさんのことは大好きだし、さっき散々いろいろ書いたけど、基本的には私は死後の世界を信じちゃいないので。

あなたたちはもう私のことなんて覚えてないでしょうけど、私は覚えてます。
あなたたちの全てを覚えているわけじゃないけど、あなたたちからもらったものを大事にしていた時の心を覚えているんです。今でも感じるんです。
はじめてコトダマを聴いた時の涙とか、ライブで苦しさを吹き飛ばしてもらった感覚とか、登場SEが鳴った瞬間の日常では考えられないくらいの高揚とか。

うちの実家には全ての音源、チェキ、アー写、フライヤー、あなたたちが書いてくれた大学受験合格祈願の寄せ書き、全部残ってます。
サキさんのピックは、自宅の玄関に飾ってます。インストでサイン入れてもらってすぐ落として、翔。さんに拾ってもらったやつ。
Ryoさんがラストライブで投げたスティックもあります。
まだ使えそうなので、もし復活するなら、その日に差し入れます。復活しなければ、死んだ私と一緒に焼いてそっちに持ってきます。

アヲイの曲を聴くと、今でも胸が苦しくなります。
それがどんな心境のせいなのかずっと目を背けてきましたけど、やっぱりライブで触れられる状況にないことが、寂しいです。死ぬほど。
『無くならない歌』が今でも私の中に生きていること、それで生きてこられたことは身をもって知っているけれど、その反面どうしても、もう一度だけでもと思ってしまう気持ちは捨てられません。
あなたたちは死にたがりの10代の女の子に「生キル為ノ歌」を深くぶっ刺して、ハタチを迎える前年に解散しました。
もらった楽曲は、あの頃の私の信じるものに、居場所になりました。そして今、愛おし過ぎる思い出となり、私の身体の中に流れています。
依存、懐古主義、と言われてしまえばそれまでですが、与えられたものがあまりにも多すぎて、感謝や思い出だけでは抑えきれない強い気持ちが、まだまだ私の中にはあるんです。
そしてそういう人間は、私一人じゃないはずです。

オトギさん、生きてますか?今、あなたの音楽を好きでいる自分に胸を張っていられることが、私の一番の財産です。生きててよかったと思える今まで、生かしてくれてありがとう。
慎さん、お疲れさまです。たまにnote見てます。今更ですけど、あなたのギターめちゃくちゃ好きです。最近、シャッフルで唐突に流れた終夜灯のギターで泣きました。
翔。さん、生きてますか?ライブ中の翔。さんを見ているのが好きです。この世のものとは思えない動きで表現されるので、一生焼き付いて離れないと思います。
サキさん、お元気ですか?サキさんが覚えていなくても、私にとって最初で最後のガチ恋バンドマンなので、私は一生忘れません。お前オトギファンだろ!って言われたこと、一生根に持ちます。複雑な思いがあって100%では言いきれないけど、でも、ベーシストであり続けてくれたことには感謝しています。
Ryoさん、今でもアヲイの音楽を大事にしてくださってありがとうございます。これも今更ですけど、Ryoさんのドラム、信じられないくらいかっこいいので、12/26楽しみにしてます。どんなライブで、どんな感情になるか分からないけれど……。

老けてても太ってても禿げててもいいから(だれか特定の個人を指しているわけではありません)、きっとその頃にはフロアのアヲイギャもそうなってるから。
いつか、もう一度、あのぐちゃぐちゃの汚いフロアで、アヲイの音楽を聴かせてください。

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