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2021年のトピック①全てに甘え、頼り、小説書いた

先日、大泉洋さん主演の『騙し絵の牙』を観た。
久々に自分の中でヒットで、観終わってすぐ、気になったシーンをもう一度見直したほどだ。
そして、その中の台詞に、ぐっと心を掴まれた。

「面白いこと以外はどうでもいいんだ」
「あなたは書くことでしか救われない人だ」


今年、私は友人の犬尾春陽さんにお誘いいただき、初めて小説を書いた。
『故買屋 いわくのあるものを扱う店』という一冊の本に収められ、先月の文学フリマにて、犬尾さんのブースで販売された。

私は、「書くことでしか救われない」なんて、大層な人間ではない。
誘ってくれた犬尾さんの顔に泥を塗るわけにはいけない、同じ一冊になるのだからほかの作家さんの足を引っ張ってはいけない、お金や時間を使って読んでくれる人がいるのだから少しでも良いものを書きたい……
無い頭を振り絞ってめちゃくちゃ考えたし、私の今持っているもの全部ぶち込んで書いたけれど、正直に言えば、面白いものが書けた!とはどうしても思えない。
つい先日なんて、本を買ってくれた人に土下座して謝罪する夢を見た。

それでも、書こうと思って生きること・実際に書いてみることで、確実に私の世界は変わった。
書くことで救われた、と少なからず思う。
クオリティと言われると逃げ出したくなってしまうけれど、初稿を書き上げた時の感覚は、きっとこれからも忘れないと思う。
ずっと書きたいと思っていたのに、ずっと書けなかったし書かなかった日々から、遂に脱却したんだと、震えた。

「面白いこと以外はどうでもいいんだ」

心に刻んで生きていこう。書き続けていこう。
そう思わせてくれたこの半年の日々について、ここに残しておきたいと思います。


1.書き始めるまで/犬尾さんの完璧なお膳立て

正直言って、私にこの大きな転機を与えてくれたのは、今回の企画の立案者でもある犬尾春陽さんに他ならならい。
書いたことで人生が変わったなんて大見得を切っておきながら、その決断をくだすまでのところで、私は何もしていない。

犬尾さんが釣って、捌いて、味付けをして、上手に焼いたお魚を、小骨まで取って、私に出してくれた。
私はただただ無我夢中で、むしゃむしゃと食べていただけに過ぎない。

犬尾さんは十年来の友人だ。
歳は一回り違うけれど、それを全く感じさせないほど若々しく、そして私のことを対等に扱ってくれつつ、でも甘やかしてくれる人。
人類グッドデザイン賞殿堂入りってくらい、死ぬほど美人。
美味しいものと美しいものをたくさん知っていて、私一人では見られなかった、経験できなかったであろうことを、たくさん教えてくれた。

彼女は学生時代から小説やライナーノーツ、映画の脚本などを書いてきており、私自身も彼女の作品の一読者である。
よく、彼女が言う「こんなもんやろ、私が書いたんだから面白いやろ」という言葉は、心底私を憧れさせたと同時に、創作とはこういう特別な人がやるものなのだなという諦念を与えた。
確かに彼女の書くものは面白かったし、そしてアウトプットを裏付ける経験や知識の量が膨大だった。

だから、彼女から「怖い話を書いてみないか?」と誘われた時は、縮み上がった。
私は元来、臆病者だ。
人から見るとそうは思えないらしいけれど、ちょっとしたことでも怖気付いてしまうし、しょうもない遠慮と保険掛けの卑下が癖になってしまって、基本何事にも消極的だ。

そんな私に、ある日、犬尾さんはパソコンを買わせた。
あっさり。即決で。

そもそもの最初のきっかけは、去年の私の発狂だった。
約1年くらい前、どうにも手に負えなくなってしまった恋を抱え、まさしく発狂していた。
急に泣いたり、大声で笑ったり、身体の調子を崩すほど落ち込んだりした。

そんな私に、犬尾さんは、
「noteアカウントを作りなさい」
「今思ってること全部記事にしなさい」
と言って、このアカウントを作らせた。
それだけじゃなく、記事を書くための毎日ノートや、文章を書くためのワーク、私にも書けそうなテーマまで与えてくれた。
そして何より、私が書いたものを全て褒めてくれた。
「生々しい地獄」
「めっちゃおもろいよ」
「あなたにしか書けないものだよ」
文章を書くことを習慣化しようと、私に思わせてくれた。
文章を書くことで、自分の中のしょうもない悩みとか、無様過ぎる失恋とか、全部ネタとして使っちゃえばいいんだって思えた。
書くことで救われるとは何か、を教えてくれたのがまさしく犬尾さんだったのだ。

そして、私が記事の全てをスマホで書いていることを知ると、
「パソコン買った方がいいよ。楽よ、その方が」
と勧めてくれた。
しかし、まだ習慣化しようと思った程度で、そもそも全然習慣化できていない中で、文章を書くためにパソコンなんて大きな買い物を私ができるはずもなく、ずるずると月日は過ぎていった。

しかし、ある日、私がスマホと家のWiFiの調子が悪いことを相談すると、「電気屋に行こう」と誘ってくれた。
連れて行かれた家電量販店で、彼女はスマホの機種や最適なプランを店員さんと話してさくさく決めてくれた。
頼もしいな〜、さすがだな〜と全部お任せしていると、「新規のプラン契約の方は、本日お買い物されると4万円分の割引が受けられます!」と店員さんが言った。
すると、私が答えるより先に、「やったじゃん!パソコン買おう、パソコン」と犬尾さんが言った。

契約やらなんやらで、時刻はもう閉店間際。
呆気に取られているうちに、私たちはパソコン売り場に向けてダッシュしていた。
売り場に居た店員さんと、彼女は「CPUは○で〜、Wordが入ってて〜〜持ち歩きできるくらいのやつで〜」と条件を話し合い、あれよあれよと言う間に1台のPCを選んでいた。

「これいいじゃん、これにしよう」と言う彼女に、私はハッとして、慌てて反論した。
「ごめん、いきなりこんなに大きい買い物できない。使うか分かんないし。そもそも4万引いてもらっても、今日こんな買い物すると思ってなかったから、カードも現金もこんなに持ってきてないし……」
そんな私に、彼女は言った。
何でもない、当たり前のことみたいな顔して。

「私はあなたに文章を味方につけて生きていってほしい。これがあれば、もっとたくさん、色んなこと書きたくなるよ。」
「最悪、ほんとに使わないってなったら、私が買い取ってあげる。でもきっと仲良くなれるし、あって良かったって思うから絶対。」
「今日の支払いは気にしなくていい、私がカードで払うから。あとで返してくれればいいよ、何ならいつでもいいよ。大人だから。」

結局、犬尾さんが私に買わせた(当日は、完全に買い与えてセットアップまでしてくれた)PCで、私は犬尾さんの企画に出す小説を書いた。
人生初の小説を書ききったのだ。

私の文章に対する恐れを少しづつ取り除き、書く道具、そして機会を与えてくれた。
今までずっと憧れていたけれど、手が届かないと思っていた所まで、手取り足取り連れてきてくれた。

ここまで書いていて思うのだが、彼女は一体何者なんだ???
なんかもう、結婚してくれねえかな????

人に物を教えることや、新しいことを始めさせるのって、信じられないくらい労力を使う。
めちゃくちゃに面倒なことだ。
しかもその相手は、この私だ。
ネガティブなことを考えさせたら右に出るものはなく、逃げを打つのが何より得意で、ちょっとしたことですぐ発狂しては泣きついてくる。
noteの記事を書き出しても、パソコンを恐る恐る触り出しても、もう書けない面白くない死ぬ、とか喚き散らしてくる女だ。

犬尾さんはそんな私に、最初から最後まで向き合ってくれた。
小説を書くまでのお膳立てを120%してくれて、私のもうダメだビームでぶっ壊れたそれを何度でも0から組み立てて、支え続けてくれた。

どうしてここまでしてくれるの、と聞く私に、犬尾さんは「愛してるからな!」とかっこよく言ってくれますが、私はその倍以上愛してます。
本当にありがとう。


2.書き始めてから/柚木麻子さまに横っ面を張り倒された

実際書き始めてくると、やっぱり上手くいかないことだらけ。
この感覚はどうしたら言葉になるのだろう、書きたい一場面があるのだけど前後が全く思い浮かばない、収拾つかなくなってきた……
何度も筆が止まっては、逃げ出したくなった。
ほら、やっぱり、私には書けない。くっそつまんないじゃん。かっこ悪い、人に見られたら死ぬ、もうやめたいって。

その度に、(それこそ犬尾さんに泣きついたりもしましたが、)私をぶん殴って、奮い立たせて、とにかく最後まで書こうと思わせてくれたのが、柚木麻子さんの『伊藤くんA to E』だった。

『伊藤くんA to E』は、美形でお金持ちだけど、自意識過剰でど痛い脚本家志望の伊藤くんと、伊藤くんに恋したりされたり、とにかく振り回されるA〜Eの5名の女性を描いた連作短編集だ。
ドラマ化、映画化もされている。(Netflixで観られるドラマ版は、挿入歌になっているスピッツも最高なのでオススメです。)
伊藤くんはめちゃくちゃな男なのに、何故か女性たちが惹かれてしまうのは、伊藤くんの無様さや痛さが、自分にも跳ね返ってくるからなのだ。

A〜Eの女たちが、自分の内なる伊藤くんと対峙して、打ちのめされて、それでも立ち上がっていったように、私もこの作品とともに、弱くて痛々しくて情けない自分と戦い続けた。

「金もなく力もないから、主張や言い回しや皮肉で、特別感をアピールするしかなくなる。それがどんなにみっともないことか知っていても、」(84頁)
「振り向かない相手を好きになったり、叶わない目標掲げたり、無理めな買い物してそれにふさわしい自分になろうとか、そういう格好悪いことしない人だもんね。いっつも安全な場所から、かっこいい角度の批判するのが好きな、そういう人だもんね。」(192頁)
「不器用な自分を正当化し酔いしれていたせいで、伊藤と自分は何も生めないし、どこにも行けないのだ。どうしてそのことからずっと目を逸らし続けてきたのだろう。」(103頁)
「知識なんて問題ではない。書く意志しか、その人を先に進ませない。」
「ごちゃごちゃ言わずにただ筆を執ること。一文字でもいいから書くこと。拙い言葉でもいいから。」(262頁)
「恋をすることも、何かになることも、あきらめることさえまともにできない正真正銘のクズ。」(264頁)
「実物をろくに見もしないのに、まだ何も起きていないのに、最悪の想像を巡らせ、自ら望みを断ち、いつの間にか自分を狭く暗い場所に押し込めていた。」(304頁)

小説を書ける人/書けない人の決定的な違いって、(クオリティを度外視すれば、)自意識に負けずにやり通せるかどうかだと思う。
小説に限らず、思えば私のこれまでの人生のほとんどは、自意識との戦いだった。
どうせダメだと分かっているなら、挑戦するのは時間の無駄だ。
一生懸命やってだめだったらかっこ悪いから、手を抜いておこう。
それが一番かっこ悪いことに気付きながらも、どうしても抗えない自意識に押し潰されて、できないことがたくさんあった。
無我夢中で片思いするとか、死ぬ気でダイエットして可愛くなろうとするとか。

そして、その最たるものが、「小説を書く」だった。
自分が無様に失敗する様を人に見られたくない、本当に無知で面白味のない人間だということを知られたくない。
そして何より、そのことに直面して自分自身が落ち込みたくない。
私は、こんなつまらない自意識に負け続けて、ずっとやりたいと思っていたことから逃げてきた。

自分からは誰のことも好きにならない。
変わりたいと言いつつ、何も行動を起こさない。
作品を完成させず、人に非難されない・負けないことで、勝った気になって、自分に酔いしれている。
伊藤くんは、まさに私の中に居る「正真正銘のクズ」そのものだった。

そんなの嫌だ、勘弁してくれって、とにかくPCと向き合って言葉を連ね続けた。
もうダメだと思ったら、小説を開いた。ドラマを観た。
その度に、伊藤くんの痛さが、女たちの悲痛な叫びが、私の横っ面を引っぱたいてくれた。

私はこの小説が柚木麻子さんとの出会いで、恥ずかしながら、今のところ他には『あまからカルテット』しか読んだことがありません。
ですが、柚木麻子さんの作品は、生きている上で本当のこと・重要なことしか言わないと確信しています。

何気ない描写、ちょっとした一言、全てが本質的。
暴力的な程に、痛いところだけを狙いすまして突いてくる。
私が人生の中で、絶対に人にバレたくないところ、目を逸らしておきたいところを、逃げ回ってきたことを、『伊藤くんA to E』は容赦なく指摘し続けてきた。
めちゃくちゃダサいけどどうする?そのままのうのうとしとく??ど痛いね???って。

たった2冊しか読んでいないにもかかわらず、また作家さん相手に大変恐縮なのですが、あまりにも人として信頼できすぎてしまうこの姿勢を見て、心底友達になりたいと思ってしまいました。
そして、勝手ながら、私と自意識との戦いのセコンドで居てくれたことに、本当に感謝しております。


3.書き終えてみて/恐れと欲

書き終えてからのことは、またまた全て人に頼ってしまった。
犬尾さんをはじめとする他のメンバーの方々が、チェックを入れて直すべき箇所を教えてくれ、ページ割りや表紙や挿絵の制作、製本・発注などなど、私が何をしているのか理解できないことまで全て整えてくださり、一冊の本の形にしてくださった。
11月の文学フリマで売った際も、ただブースに少し間座っていただけだった。
周りの人達に甘え切って、何が何やら分からんうちに、全てが終わった。

文学フリマ後に、ジンギスカン屋でお疲れ様会をした。
その際、また続編を書きましょうという話が出ていた。
その会話の中で、「読んでくれた方の感想を見て考えよう」「クオリティを担保できるかどうかを考えるとこういう方向性の方が……」というような言葉が飛び交っており、私は羊肉をごちごちと噛みながら戦慄していた。

そうか、今日あの本を手に取り、お金を払って買ってくれた人は、あの本を読むのだと。
私が書いた話まで読むかもしれないのだと。
私は、私が書くことばかりに一生懸命で、何にも考えていなかった。
本とは、小説とは、人が貴重なお金や時間を使って読むものなのだと思うと、今更ながらとても恐ろしかった。

私がただがむしゃらに書いた一作は、誰かに読んでもらえるようなものだったのだろうか。
お金を払ってもらってよいものだったのだろうか。
もっとできることはなかったのだろうか。
恐ろしいものに手を出してしまった、と本気で思った。 

でもきっと、上手くやろうなんて考えてしまっていたら、私は書けなかったと思う。
人目を気にして格好つけて、書くべきことすら書けなかったとしたら、それこそ読むに値しないものになってしまっただろう。

今思うことは、もっとずっと、書こうということだ。
上手くやろうとは思わず、ただ、上手くやれるようになるまで書き続けよう。
ただ文章を書くのが純粋に好きだった頃のこと、書こうと思って日々のことを必死に拾い集めたこと、書き始めて思わぬ考えが顕になったこと、読んでくれる誰かが居るんだということ。
今回経験した全てのことを、ちゃんと大切にしよう。
書きたい、もっと書きたいという気持ちと向き合って、育てて行こう。
それがきっと、私が人生を面白く生きていける活路だ。


4.最後にお願い/誰か読んでください!

『故買屋 いわくのあるものを扱う店』ですが、私の手元にある在庫は、売るも人にあげるも捨てるも、全て自由だと言っていただきました。
勿論捨てるつもりはありませんが、売れる場も自信も私は持っておりません。
だけれど、私が書いたものがどんな風に受け取られるのか、とても知りたいと思っています。
これからのヒントをもらいたいです。

なので、『故買屋 いわくのあるものを扱う店』を読んでくださる方を、5名募集したいと思います!

代金・送料はいただきません。
その代わり、読んでいただき、どうか一言でも良いので感想をください。
(身近な人にお願いすると、様々なリスクや気遣いが生じる可能性があるので、ネットの力を借りたいです…!)

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