2年間の闇、そして今空回っていた歯車がカチっと音を立てて回り始めている
noteを書き殴っている、そんな感覚でここにいる。
本当に小さくて地味で気をつけなければ、簡単に忘れてしまいそうなでも、大事なことを感じていて、それを忘れたくなくて今PCの画面を前にしている。
2年間、ずっと空回っていた。
どんなにやっても何をやってもうまくいかない。
評価されない。大勢の前で本当に怒鳴られる。無視をされる。
まさに真っ暗闇の中にいるようで、でもそこから逃げちゃいけない。
ここでこれを終わらせなければ、次にこれを持ち越してはいけない。
そんな強迫観念のようなものがずっとあった。
その状況は異常だよ。
なんで辞めないの?
私ならその状況耐えられない。
そこに何があるの?
何があなたを引き止めているの?
何があなたをそうまで駆り立てているの?
何度も何度も言われた言葉たち。
その度に、わからない、でも今じゃない、
と言い続け辞めることをしなかった。そこに留まることを選んだ。
それが突然、自分の意思ではどうしようもない、コントロールが効かないところで緊急停止がかかった。
これまでなんでも自己決定を大事にしてきたけれどそんなものは通用しなかった。突然言い渡された停止命令に、流れに身を任せるしかなかった。
そこから数ヶ月、今、本当に耳をすまさないと聞こえないような小さな音ででも確かにカチっと音を立てて全ての歯車が合わさってゆっくりでも確実に回り始めている感覚がある。
それは、これまでの生活のスピードであれば絶対に気がつかないような小さな音で多分あのままであれば気が付くことのなく過ぎ去っていったのだと思う。そもそも歯車が噛み合わさることもおそらくないまま空回りをしていたのだろうと思う。
私は全然、悟りを開いているわけでも人生何周目とかでもない。
すぐに大事なことを忘れてしまうところもある。
結構抜けていてできないこともたくさんある。そんな自分にびっくりすることもいまだにある。がっかりすることもある。
そんな自分を自覚しているからこそ、この小さいけれどとても大事なことを忘れたくないと思った。
忘れないように、この後の人生もきっとおとずれるであろう闇を向かえた時も、大丈夫、きっといつか抜ける、と自分が思い出せるように今日のことをここに残しておく。
全てをコントロールしようとしなくてもいい。
自分の人生のハンドルを握りきれなくてもいい。
流れに身を任せてもいい。
できなくていい。
がっかりしてもいい。
責めたくなるようなことがあってもいい。
これからもきっと何度でも絶望することもある。
それでもいい。
それでも、その闇を、これまでの闇をなかったことにはしない。
その闇と共に私はあり続けようと思う。
闇と共にあり続けたからこそ感じる小さな光、小さな音が全て今ここにある。
ここには何もないけれど、全てある。
そんな感覚が確かに今私にはある。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?