女性と男性がどうでもいい。

勤勉だったり、努力家だったり、クリエイティブだったり、秀才だったり、人格者だったり、優秀な人が女性というだけで社会で正当に評価されない、という事はどうかと思う。
絶対に評価されて、社会を動かす一人の人間として存在してほしいと思う。

だがしかし、私はそうではない人間という感情がどんどん膨れ上がっている。

正社員になりたいとも思わない。
フルタイムや正社員で働いたら人間生活もままならない自信がある。
それで家事と子育てをしている人達を見ると、男女に関わらずとんでもない体力だなと感嘆としてしまう。
こういう人達こそ今を担う優秀な人類なのだなと思う。
尊敬と憧れだ。
そして、嫉妬と付け加えたい所だが、嫉妬とは少し違った感情がある。

子供の頃に「こうなりたい!」と思っていた成人女性像とは違った姿が今の私が感じる社会の中での素晴らしい女性なのだ。
人生でイメージする大人の姿というのは、時期によって微妙に変化はするけれど、全体を俯瞰して見てみると、一本筋が細いながらにもあるように感じる。
教養的な根拠に基づいた寛容さを持った流行や政治や社会に左右されない軽やかな女性。
これが理想だったし、今でも正直そういう女性にこれからでもなりたいものだと思う。

私は少々ズレていた自覚があって、流行りにも疎くて、お洒落にも疎くて、非常識で、不真面目で、勉強について行けず、人間関係も問題だらけで、就労意欲も無く、恋愛感情も拗らせ、セクシュアリティも変わっていて……
ずっとこうなのだから、今の流行りの、主流の女性になんて、そもそもなれなかったし、なる気も無かったのだ。
ギャルにはなれなかったのだから。
カテゴライズが出来ない存在というのは、一生抜け出せないだろう。
自分の人生が面白くて面白くて仕方がない一方で、あまりにも社会から離れてしまっている事を、この年になって熟と実感する。

その事を楽しんでいる心がある一方で、どうにもモヤモヤとするのである。
沢山のイイネがついた女性、女性、女性と捲し立てるニュースやSNSを眺めながら、いやいや、貴女の話でしょうと思う。

おそらくそれが社会の特徴なのだろうと思う。
男性自身で男性の枠を決定して囲い、同調圧力の中でそこから外れた男性を追い詰めて窓際に追いやる。
当然ながら女性に置き換えても良い。
なんという青臭い表現だろうかと思いつつも、ああ嫌だああ嫌だ、語るパイのデカさ!最悪だよ!!と悲鳴を上げそうになる。
男性が男性、女性が女性というカテゴライズで収まるわけもないのは誰だってもうわかっていようと思う。
女性にも性犯罪者は居る。
男性にも徒党を組んで陰湿なイジメをする人は居る。

三十路を通りながら、急激に小学校五年生から高校生までの、思春期の気持ちを思い出している。
おもひでぽろぽろを見たくなる。
(全く形は違うけど。)

一人称を名前から性別に起因する物に改めさせられた。(これは、男性も公の場では私を使う事を理解してからは不快では無くなった。)
全く大きくもないのに膨らんだ胸が気持ち悪くて吐きそうになって震えたり。
こんなにつるつるの場所にゴワゴワした陰毛が本当にはえるのだろうかとまじまじ観察してみたり。
生理が来たら履こうと生理用ショーツを買ってみたにも関わらず、全く来なくてサイズアウトしたり。
スカートなんて履いてなかったのに制服でスカートを履かなければならなくなったり。
いざ生理が来たらスカート生活で冷え切った下半身は、歩けない程の痛みに襲われて保健室まで這って歩いたり。
兄のお古のズボンにお尻が入らなくなったり。
痴漢に遭ったり。
露出狂に遭遇したり。
訊いてもいないのに男性から女性としてのルックスで評価されて目玉が飛び出る程驚いたり。

全てにおいて、強制的に「女性」にカテゴライズさせられていく無力感。
これは当然、男性にもあるだろう。

別に私は性別が女性であることに不満は無い、男性にはなりたくない、ただ、女性にもなりたくは無かった。
ずっと、女性になる覚悟のないまま女性になったのだ。
挙句の果てには、これからは女性の輝く時代ですと言われた時の衝撃は忘れられない。
私はこのままでも良いのに、今までの自分が鈍いと言われた様な気がしたのだ。
こんなに命がけで女性という性別を受け入れたのに、それはもう古いですと言われたのだ。
だから面の弛んだオヤジの決め事は嫌いなんだと、大雑把に適当に雑に誹謗中傷したくなった。
かと言って蔑視されているのも嫌ですけど。
(単に女性を蔑視している男性達と、卑下している女性達だけが性別の見方を改めれば良いだけじゃねえの?と、思っていた。)

結局の所、どんなに社会的なカテゴリの質が変わっても、普遍的に頼りになるアイデンティティなんて、私であるという事だけなのだ。
私は馬鹿みたいにずっと私だったのだ。
私は今、老後の体力と経済状況が不安だ。
もう、本当に、それ以外の不安は皆無と言ってもいい。

そうして、何もかもどうでも良くなった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?