Feist - 1234 について

改めて訳してみると、こんなに切ない歌詞だったのか。2007年、iPod nanoのCMに使われ、世界的に大ヒットした曲。

下の記事に書いた、訳について少し補足。ここでの「あなた」は、作者自身に向けられている。そしてこの「あなた」は、この歌をいま聴いているあなたにも向けられている。そのぐらい普遍的な内容の、分かりやすく真に迫った歌詞が綴られている。

占星術の面からも少し話すと、1976年2月13日生まれのFeistは水瓶座。「あなたは自分が誰か分かってた―ねえ、あなたは誰なの?」「たった1つの小さな嘘でさえ / とてもこわくて つけなかった」など、水瓶座の美しさが表れた言葉だと思う。

水瓶座は観念的で、頑固な知性を持つ。けれど、色々なことが見え過ぎていて、見過ごせないために、危うさも持つ。とても賢いが、精神的にはタフとはいえない星座でもある。自分が誰なのか分かっていたからこそ、ひとりでここまで進んできた。けれど、その道をふいに振り返った時、そこまでして追求してきた「“私”は誰なの?」という疑問が浮かぶ。取り戻せない愛、壊れた心、変わっていく心、分かっていたと思っていた「自分」とは誰だったのだろう。そう歌われる詞のメロディは、放物線を描くかのようだ。「観念」が指し示すまま、ずっと遠くを目指していた心が、重力に足を取られ、ゆるやかに落下するように。けれど、全体的にもの悲しい曲調ではなく、あきらめたからこその人懐っこさと大らかさも感じられる。その大らかさが名曲たる所以でもあるのだろう。

昔から思っていたのだけど、カナダ出身のFeistは、彼女の同郷で彼女より少し前に同じくジュノアワード(カナダのグラミーといわれる)を受賞したJulie Doironの影響を受けているのではないか。歌い方やソングライティング、クリアで美しい録音などに、何となくそう感じてしまう。そんな記事は見たことないので、私が勝手にそう思い込んでいるだけかもしれないけれど。知名度はFeistの方が圧倒的だが、私はJulie Doironの音楽しか聴けない時期が5年ほどあったぐらい、取りつかれたように好きだった。

彼女たちの歌詞は多くを語らない。簡潔な言葉を独創的に組み合わせては、目の覚めるような歌を発明してしまう。蟹座で写真家でもあるJulie Doironは、その記憶喚起力によって今も瑞々しい、特に鮮烈な場面を独り言のように書き出す。対して、水瓶座のFeistは記憶をもうすでに前世の出来事かのように、考古学者のメモのごとく書きつける。Julie Doironは今も記憶の只中にいるからこそ書けることを、Feistは今はもうずっと遠くにいるからこそ書けることを、それぞれ歌にしているのだ。

彼女はソロデビューの前に、ハードコア・バンドで激しい歌い方をして、喉を潰してしまったらしい。医師に歌を止められた間は作曲に専念していたという。どこか喉をかばうような、独特な繊細な歌い方で、大きな朗々とした声ではなく少しぎこちない。けれど、淡々とした歌では決してなく、音と音の間を駆け上がり豊かな声色を持った、できる限り自由であろうとする歌だ。それに彼女の曲は多くのコーラスやホーン、ほんの少しだけ使われる楽器まで、ボーカル以外にも「歌」で溢れている。失ってしまった声を、多彩な歌で再構築することで、ポップスの構造自体を塗り替えたようにも思う。肉体を超えた「自由」、そして「構造」「構築」も水瓶座のキーワードである。私自身は自分が中途半端な時に生まれたように思うこともあるが、Feistはリアルタイムで出会えて良かったと思う大切な音楽家の一人だ。

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