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読書感想 掴めそうで掴めない

昨日は宿直勤務明けに、美容室、重要なお振込み、洗車とめちゃくちゃ働いてしまった。(美容室は、働いてくれたのは美容師さんだろうか、、、)

いつもは、速攻で家に帰り、昼食と一緒にビールを1杯(いや、2杯?3杯?)
ほろ酔いの中、一眠り。
起きて、5、6時になり子どもたちを迎えに行くという流れ。

昨日はそうではなく、めちゃくちゃ動いてから、子どもを迎えに。
パートナーが作り溜めしてくれたご飯を出し、習い事に連れて行く。

帰ってきて、、、やっとお酒に在りつけた。

何が言いたいかというと、昨日は帰ってきてからも一休みしてないから、今日かなりキツいよって話。すみません、どうでもいい話でした。


さて、今日も読書感想文を書いていく。書籍は、「あした死ぬ幸福の王子 ストーリーで学ぶ「ハイデガー哲学」 飲茶著」である。


イケハヤさんがお勧めしていたので、さっそくポチってみた。
こうやって人が勧めている本はできるだけ即ポチしようと思っている。
なぜかというと、自分の思考の幅を広げたいから。

自分が読みたい本ばかりをセレクトしてしまうと、どうしても偏りが出てきてしまう。
ちきりんさんが言っていた、受動的か、能動的かっていう話と似ている。
自分の読みたい本をセレクトする→能動的
インフルエンサーがいいよって言っている本をポチる→受動的

受動的はディスられがちだが、思考の幅を広げてくれる良さがあるとちきりんさんは熱弁。テレビが最たるものだと。

おっとと。読書感想文に話を戻す。

感想の結論から。
「哲学で、存在というのは大きなファクターである。実存(現実存在)というもニーチェが語る哲学でも出てくる。説明できそうで説明できない。(できていない。)思考とは、泡のような感じがする。」

今までで1番訳分かんない結論になってしまった。すみません。

だって、今考えたことをまとめてもそうとしか言えないんですもん。
しょうがない、しょうがない。(自分に甘い、、、)

補足説明する。本書で、存在とは思考の土台と述べられている。

人間は、存在とは何か語れないにもかかわらず、存在の意味を理解し、存在を土台とする言語を駆使している。これはどう考えても不思議で神秘的なことではないだろうか。

まず、存在は何かが分からない。ハイデガーの結論である。
ある(存在)を原子レベルに分解しても、あるけど理解できない。
でもあることはある。あるの説明をしているのに、またあるが生まれる。
(もう厄介、、、泣)

日常生活で「ある」は使っている。でも説明しようと思うと説明できない。
「ある」ということを知っているのに、説明できない。

これって、私たちの存在、思考も同じではないかと思うのである。
自分のことを知りたくて、説明できるようになりたくて、考えて考え抜くのだが、どこか掴みどころがなくて、追いかければ追いかけるほど、遠くへ行ってしまう。
それでもまた、考えてしまう。

まさに泡のように思考したことは弾けてしまう。そしてまた、泡が発生する。(思考し始める)

掴めそうで掴めないのが、私。
それで良いのだとハイデガーさんは言っているのだと、本書の序盤を読んで教えてくれたように思う。

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