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[小説]ある統合失調者の記憶 2話 ベランダ

第ニ話は、4200字程度です。前回は、発端となった時差式信号機の周りで起きたことをお書きしました。そして、今回も息子の発言に揺さぶられるわたしの心を書いています。この不安は墨を一滴一滴垂らすようにわたしの心を淡く染めていきました。


 時差式信号機の近くをとおる車が急ブレーキをかける音を聞くたびに、わたしの心の中に小さな不安が少しづつ、水の入ったコップに一滴の墨を垂らして黒いモヤがゆっくりと広がるようにわたしの心を染めていくような感じがしました。そして、息子が言った何か黒いものが見えるという言葉と時差式信号機の周りで起きた一連の事故には何も関係がないのに、その二つの出来事を強引に結びつけて、息子には何か特別なものが見えるのではないかという畏れのような気持ちを持つようになりました。
 そして4歳になった息子の言葉は、わたしの心のコップに再び黒い墨を一滴落としました。
 「あのね、窓の外にお化けが立っているの」
 わたしと息子は、幼稚園から帰って、二人でおやつを食べようとしていました。帰ってからすぐに、わたしは台所に立ちおやつの準備を始めていたところ、息子がわたしの近くに寄ってきて座ったんです。あれ?どうしたの?と思うと、息子が震えているのです。いつもは活発すぎるほどの息子が、窓から離れて小さな体をさらに小さくして、お山ずわりをしながら体を小刻みに揺らしていました。そして、その小さな声でわたしの心に墨を一滴垂らしたのです。
「窓の外にお化けがいるから怖い」
 我が家のベランダは少し広くて、ベランダの外にベンチが置ける程度の広さです。びっくりして外を見ると、2年前に飛び降り自殺を図った人が無断で侵入した灰色の雑居ビルが見えました。わたしたちが住むマンションと雑居ビルの間から、頻繁に走り抜ける乗用車が、さらに奥には葬祭場の看板が見えました。空は白く濁っていました。ベランダの中には使い古した青色のビニールプールが萎んで、ベランダの片隅にぐしゃぐしゃになって置かれていました。ベランダの外や中を見回しても誰もいません。もしかしたらと思いベランダから下を除きこみましたが、やはり下にも誰もいません。少なくも、わたしの目には何も不審なものは写っていません。そして、変な物音も一切ありませんでした。そこで、息子にどんなお化けがいるの?と聞いてみました。
「おじいさんのお化けが立っているの」
 どんな顔のお化けと聞くと、息子は左右の人差し指を両目に添えて外側に引っ張り、吊り目を作りました。
「こんな感じのお化け」

 息子の言葉は、1年前の何か神様みたいなものが見えるという言葉をわたしに思い出させました。息子の言葉を見間違えだと否定することは簡単でしたが、子供の言葉を否定できないわたし自身の気持ちと、なによりも息子の眼差しがわたし自身が目に見えない何かを信じさせるには十分だったのです。そして、背筋が急に冷めてきて、心の中に落とされた数滴の墨がじわじわとわたしの心を不安という色に染められるような気がしました。わたしは広がってくる不安とどうやら目の前にあるらしい何かにどう向き合おうかと、知恵を絞り始めました。

 わたしは幼い頃から不思議なものが大好きでしたが、わたし自身は幽霊を見たこともありません。子どもの頃に体験した奇妙な出来事といえば、金縛りにあったことがあります。それは、わたしが中学生のときの出来事で、実家の二段ベットの上で寝ていたときに、全身が全く動かないことに気がつきました。息をすることができましたが、体は指一本動かせません。そして、背中からじわりと汗が滲んできたように思えます。これが噂に聞いていた金縛りというものかと感心していたときに、耳元で声が聞こえました。小さいけれどよく聞こえる声ではっきりと聞こえました。
「フレンド」
 わたしは、心の中でありったけの声を張り上げて怒鳴りました。出ていけと。そうすると、体が自由になり、背中の汗も治まっていました。
 中学校の友達にわたしの経験を披露したのですが、そのフレンドというセリフだけで笑われてしまい話が盛り上がらず終わってしまいました。それ以外に、不思議な体験をすることもありません。それでも、神秘的なことや怖い話が好きだった中学生のわたしは、九字護法印を覚えたり、夢を夢だと認識するトレーニングをしたりしていました。ご存じのない方にかいつまんで説明いたしますと、九字護法印というのは、臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前の九つの印を両手を使って組み、除災戦災を祈願する作法です。意味するところは、「臨める兵、闘う者、皆陣をはって列び、前に在り」という、戦う者の心構えを説いた文章です。それが転じて悪霊祓いのための作法の一つとなったと言われています。

 恐怖を感じたわたしは、呪法を唱えつつ両手で印を結び、お化けがいなくなることを念じました。印を結び終えると、息子はお化けが消えたと言い、安心した様子で震えが収まりました。
「すごい、お化けがいなくなった!」
 わたしにはまったくお化けがいた時といなくなった時の区別はまったくできませんでしたが、九字護法印というのは本当に見えない者に効果があるのかと驚きつつも、平静を保ちつつ二人でおやつを食べ始めました。そして、しばらくすると、また息子が言いました。
「あ、また、お化けが出てきた。お願い、さっきのやつをまたやって」
 もう一度、九字護法印を結び、カーテンを閉めてベランダを息子に見えないようにしました。そうすると息子は安心したものの、やはりお化けが怖いのかカーテンに近寄ろうとしませんでした。
 夜になり、連れ合いが帰ってきたので息子が見たというお化けの話をすると、亡くなった祖父ではないか?と言ってきました。そこで、祖父の命日から日付を数えてみることにしました。数えてみて驚きました。祖父が亡くなってから、ちょうど五十日目でした。さっそく、実家に問い合わせしてみるとコロナ禍だったことと遠方であったことから、四十九日法要を簡略化して近くにいる親族だけで執り行ったとのことでした。そして、遠方にいる人たちには執り行ったことを手紙で伝えようと考えていたと言われました。祖父からみれば息子はひ孫にあたります。祖父は息子に挨拶をしにきたのかも知れたいと思いました。そして、追い払おうとしたわたしは何だか居心地の悪い気持ちになりました。
 思い返してみると、息子が言っていたお化けの顔と、祖父の顔が重なりました。そして、祖父の思い出が心の中に浮かんできました。

 祖父はアルツハイマー病を患った末に、肺炎を患って亡くなりました。祖母もアルツハイマー病を患い、祖父の前に亡くなりましたが、二人とも痴呆症を患う人には特有の沈黙がありました。言葉を投げかけても、虚空に言葉を捨ててしまうような投げかけた言葉が帰ってこない虚しい沈黙。今まで知っていた人たちが少しづつ異質な何かに変わっていくやりきれない気持ちが虚しい沈黙と混ざり合って、先の見えない悲しみに変わっていくようでした。
 祖父は、幼いときにお父さんを列車の事故で失ってから、大人になるまで金銭で大変苦労したそうです。戦後の混乱期に大黒柱であったお父さんを失い、早く大人にならなくてはいけなかったのかもしれません。祖父は、若いうちに板金職人の見習いとして働き始めたそうです。祖母の話では、歳をとってからはホラばかり言っていると笑っていましたが、わたしは縁側で祖父と並んで座り、祖父の昔話を聞くのが好きでした。祖父は、初めに勤めた会社で嫌われ者だった組合員を務めて、会社での居場所が次第になくなり、泣く泣く独立することになったそうです。そして、祖母と二人で板金の会社を設立して、大変努力をして会社を大きくしたそうです。大きくしたといっても、従業員が十人程度の町工場でしたが、祖父にとっては自分の子供のようであったと思います。祖父は、工場を息子に譲ってからは仕事をしなくなりましたが、それはとても寂しい決断だったようで、何度も工場に顔を出しては自分の息子に追い返されていたと祖母が教えてくれました。会社を譲り渡してから、祖父のアルツハイマーが始まったのかもしれません。祖父は、昔話を何度もわたしに聞かせてくれました。決まって最後のお話に祖父は、吸い終えたタバコの吸殻を板金を磨きつづけて黒くて太くなった親指と人差し指を使って火をすりつぶして消しながら、0号新幹線の丸い鼻の部分を作ったとか、原子力発電所の板金を作ったとか、高度経済成長期にしてきた自分の仕事を誇らしげにしゃべっていました。そして、縁側の前にある大きな岩を眺めながら、あの岩は100万円もしたんだよと、無邪気な子供のように目を細めながら自慢をしていました。それから、喋り疲れてちゃぶ台の隣でうとうとし始めて居眠りをしていたのを覚えています。
 息子が祖父にあったのは、お食い初めをする直前だったので、まだ0歳の時でした。あの頃からアルツハイマー病を患っていて、目の前にいる赤ん坊が誰の子なのかわからなくなっていました。それから祖父のアルツハイマーは悪化の一歩を辿り、まもなく老人介護施設に入所することになり、訪ねてきた家族が自分の妻であった祖母であると思っていました。祖父は、死ぬまで祖母が生きていると思っているようでした。それは、ある意味で幸せなことだったのかもしれません。それから、コロナが蔓延するようになってしまい、息子が祖父に会う機会はありませんでした。

 一夜が過ぎ、窓のカーテンを開けて外を覗いてみました。やはり、ベランダを覗き込んでもわたしの目には何も見えませんでした。そして、息子にお化けはまだいる?と聞いてみました。
「お化けはいないよ」
 息子は前日に見せた怯えた姿がなかったかのように、あっけらかんとして平然に答えました。
 わたしは、そんな息子の様子に驚きつつ、この子には人に見えないものが見えるんじゃないかという不安が、降ってきた雪が薄く積もっていくように、心のうちに淡く張り付いていくように感じていました。
 わたしはもう一度窓からベランダを見てみました。ベランダからはいつものように雑居ビルとマンションの間に隠れるように、道路を挟んで葬祭場が見えました。朝の空は、前日にベランダでみたのと同じように白く濁っていました。
(つづく)

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