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始皇帝の墳墓にはオーパーツが眠っている

歴史のロマンか捏造か

オーパーツという名前を聞くとロマンを感じる。その多くは、残念ながら捏造だったり、既に解明されたものまである。

だけど、確実にオーパーツといえる工芸品が存在する。それは、秦の始皇帝の墳墓とされる始皇帝陵から出土した。

ボクは、始皇帝陵には、時代にそぐわない技術で作られたオーパーツがまだ眠っていると考えている。

オーパーツの現在

場違いな工芸品オーパーツ。多くのアマチュア歴史家やオカルト研究者を魅了しているが、その大部分は捏造だったり、科学的に説明のできるものだ。

「オーパーツ」と呼ばれるものは一体どのようなものなのでしょうか?
「オーパーツ(OOPARTS)」は「out of place aitifact)の略になり、意味を直訳すると「場違いな工芸品」となります。
つまり、そこにあるべきではないもの、あるはずのないものが存在しているのに現在の技術では説明がつかないものです。
出土した場所に疑問があったり、その時代の文明では作り出せないはずのものが数々の発見されたことで、「超古代文明」は確かに存在していたと考えられました。
そもそもなぜこの遺物がこの時代に存在していたのか判明していないものも多く、現在の技術をもってしても作製方法が解明出来ない不思議なものを「オーパーツ」と呼んでいます。

もっとも、有名な水晶髑髏、ヘッジス・スカルは、ダイヤモンド研磨の使用跡が発見されたそうだ。この使用跡が事実でなかったとしても、ダイヤモンドは衝撃に弱い。相当な時間と技術があれば、当時の人たちでも研磨できるそうだ。

米国考古学会の機関紙アーケオロジーではヘッジス・スカルは大英博物館にある水晶ドクロのコピーの可能性があると指摘された。スミソニアン協会が行った顕微鏡検査では現代技術のダイヤモンド研磨剤の使用跡が見つかったそうである。

ナスカの地上絵。ペルーにある巨大な地上絵は、宇宙人が作ったと言われていた。しかし、これは当時の人たちが気球を使って描いたと言われている。ボクは、逆に古代の人たちが気球を使って絵を描いたことにロマンを感じるけど。

その後調査を続けるウッドマンの元に、ナスカ市立博物館の女性館員が訪れ、
ある土器の破片を差し出しました。そこには、ある興味深いものが描かれていたのです。
それは気球らしき模様でした。さらに調べると気球らしきものがたくさんあることが判明します。
ウッドマンは、一つの大胆な仮説を立てました。
あの大量に発見された布は、気球を作るために使われたのではないかということでした。

3億年前のネジの化石。これは、ウミユリの化石だ。たしかにカンブリア紀の生物には奇抜な形が多い。神様が適当に作ったんじゃないかと思える生命進化の神秘だ。

ロシアのUFOや超常現象を調査しているグループ「Kosmopoisk」がX線調査を行ったところ、3億年前の化石だということが判明しました。
そして、専門家の大半が、このネジをウミユリとして知られる海の生き物である可能性が高いと発表をしています。
 ウミユリは600種ほど絶滅してしまいましたが、今でも当時とは異なる形で海に生息しています。

コロンビアの出土品、黄金ジェット。なんで、みんな逆さまから装飾品を見るんだろうか。写真をひっくり返してみるとすぐわかる。あれは、巨大な冠を被った人の顔だ。

幅は5センチ、厚さ1.5センチの黄金性のペンダントである。前コロンブス時代の領主の墓から出土したもので、一五〇〇年前のものと推定されている。
黄金ジェットに似た遺物はベネズエラやコスタリカなどでも発見されている。

そんな馬鹿なと思う人もいるだろうけど、歴史には例がある。マリー・アントワネットが船の模型を髪飾りにしたことは有名だ。もしかしたら、古代のコロンビアでも大きな冠が流行った時期があったのかもしれない。

もはや顔の3倍まで盛って
ふわってくるくるです。
しかし、ここまでならまだ!
分かります。

さらには花瓶を乗せてバラを挿す、
鳥の入った鳥かごを乗せる。
果ては、帆船の模型や、
草木を生やした庭園のジオラマを
乗せたりする。

始皇帝のオーパーツ

秦の始皇帝を知らない日本人はほとんどいないんじゃないかな。漫画キングダムも秦を題材にしているし。始皇帝とオーパーツ、この話は考古学が好きな人の中では知っている人も多いと思う。

秦の王名としては嬴政(えいせい)または政という。前247年、13歳で秦王となる。戦国時代の秦は、渭水盆地を支配する諸侯にすぎなかったが、潅漑(鄭国渠の開通など)を推進して国力を充実させていた。相国(総理大臣に当たる、本来は相邦)の呂不韋の陰謀事件を乗り切った政は、軍備を増強するとともに、法家の思想家李斯を登用して法治国家の整備を行い、独裁権力を打ち立てた。成長する過程で、母太后に取り入った男が起こした嫪毐(ろうあい)の乱、実力者呂不韋の離反、さらに燕王が放った刺客の荊軻による暗殺未遂事件などの危機を乗り切って、権力を強め、前230年頃から他の6国の攻略に乗り出し、前221年までに最後の斉を滅ぼし、ほぼ現在の中国の国土に匹敵する地域に統一権力としての秦王朝を樹立した。

ボクは、若い頃に中国に旅行に行き、兵馬俑を見てきた。みんなが知っている兵馬俑の兵士は白い石のようだけど、発掘前は鮮やかに着色されていたそうだ。

1974年、西安の東北、臨潼県の農民が井戸を掘っていて偶然見つけた陶器の破片。これが兵馬俑坑発見のきっかけでした。総面積約1万4260平方メートルの1号坑を皮切りに、2号坑、3号坑が次々に発掘され「20世紀最大の発見」と世界を驚かせました。3つの俑坑の規模は2万平方メートルを超え、総計8,000点にのぼるとみられる陶製の兵馬が、死後の秦始皇帝を守るため地下に配置されていたことがわかったのです。

始皇帝を知っている方には常識だろうけど、彼は不老不死を求めていた。水銀は当時、不老不死の妙薬と信じられていたけど、阿房宮という始皇帝の宮廷に水銀の海があったと司馬遷の史記に書かれている。これは、事実のようだ。なぜなら、始皇帝陵には大量の水銀が存在しているからだ

始皇帝陵の中には少なくとも100トンの水銀が流しこまれていて、その蒸気によって中に入っただけで水銀中毒で卒倒してしまう、と言われています。陵墓の中に水銀が流し込まれていることは司馬遷の『史記』にも書かれていますし、付近の土壌の水銀値が以上に高いことからもこれはほぼ確実だそうです。

そして、始皇帝陵からクロムメッキされた武器が出土した。驚くことに、切れ味も落ちていなかったそうだ。当時のクロムメッキ方法がどのような方法か不明だけど、現代のクロムメッキは19世紀に開発された技術だ。

もし、あなたの家の蛇口が光沢のある銀色だったら、おそらくクロムめっきが施されているだろう。このさび止め技術の実験は、19世紀にヨーロッパで始まった。しかし40年ほど前から、研究者やメディアの間では、クロムめっきの起源について別の仮説が広まっていた。クロムめっきは、紀元前3世紀の中国で発明されており、秦の始皇帝陵に兵馬俑とともに埋葬されていた青銅の武器のさび止めに使用されたという説だ。兵馬俑の遺跡がある西安の博物館でも、こうした説明が表示されている。

紀元前700年前に遊牧民が生み出した水銀を使い金メッキするアマルガム法は、中国から日本に伝わったとされている。始皇帝は不老不死を追い求め、いかがわしい人物を招いていたと言われている。もしかしたら、始皇帝には化学に精通した技術者集団がいたのかもしれない。

水銀に他の金属(特に金)を混ぜ合わせ溶かし込み、それを表面に塗った後、熱によって水銀を蒸発させる ―― これが古くから利用されてきた「めっき」の方法で、「塗金」(ときん)と呼んでいました(現在の「アマルガム法」にあたります)。水銀に金を溶かし込むと金色が無くなり水銀の銀色になります。その不思議な現象で「金が滅する」という意味から「滅金 (めつきん)」と呼ばれるようになり、「鍍金(めっき)」へと変化しました。
「鍍金」の「鍍」の漢字が常用漢字で無いことから、新聞などの表記では「めっき」や「メッキ」が使われるようになりました。読みやすさなどから「メッキ」が使われることも多いですが、「めっき」は歴史ある日本語です。JIS規格では「めっき」が正式な表記方法になっています。

もし、始皇帝が招いたいかがわしい集団の中に、時代にそぐわない化学の知識を持った人物がいて、秦の中国統一を新技術で貢献したとしたら…。もしそうなら、始皇帝陵にオーパーツがまだ眠っているはずだ。もし、オーパーツが発掘されれば、歴史の有様は一変するだろう。それこそ、歴史のロマンじゃないだろうか。

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