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それは、苦しみのはじまりなのか?

昨日は、アレルギー治療のため病院へ。

主治医の先生は、私を一番最後に診察したがります。

その事が分かっている私は、のんびりと家を出発(笑)。

診察室に入ると、先生の世間話が始まります。

ほとんど、彼の愚痴を聞くことに…。

「花甘露さん、色んな人が私に色んな事を言って来るのですが、そうこうしているうちに、自分の意志というものが分からなくなってしまうのです…」

「あれっ、この人の言っている事が自分の考えていた事だったかな?などと、混乱してしまうのですよ…」

(そうですか…)

私の場合、その様な感覚に陥ったことは、全くと言って良い程、ありませんでした(笑)。

大変気性の激しい母に育てられた私。

母は産まれてすぐ、両親に捨てられてしまったため、誰も自分に構ってくれる人がいませんでした。

頼るべき人が居なかった母は、幼くして、何事も自分で判断し、決断しなければならなかったのです。

アドバイスをくれる人もいません。

自我の確立は早く、かつ、自分自身に対する迷いはほとんど持ち合わせていません。

子供の私にも、自分の確固たる意志を持つ様に望んでいました。

「アンタ、自分の願いが叶うか否かは別にして、取り敢えず、親には自分の望む事を口にしてみぃ!」

私が口にしない事は、無い事にされてしまうので、母に対しては、日々何らかの主張をしなければなりません。

この様な母を、とても嫌った人物が居ます。

それは、皮肉にも、母の実母。

途中から母と暮らし始めた祖母は、大変仰天してしまいました…。

「女の子が、こんな事ではいけない!」

「お嫁に行けなくなってしまう!」

母を古き良き(?)女の子像に変身させようと試みた祖母でしたが、敢えなく失敗。

「もう、遅いねん!」と、悪びれた様子もなく言い放つ母。

結局、母は父という類い稀なる(?)人物と出会って、無事結婚。

(めでたし、めでたし!)

時折、「自分の意志など持たぬ方が楽ではないか?」と、変な迷いが生じます(笑)。

主治医の言葉を複雑な心境で聞く私なのでした…(笑)。

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