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僕たちは言葉の審判者でなければならない

「プール冷えてます」で有名な岡田直也氏が、ある講座でおっしゃっていたタイトルの言葉が今だに胸に残っている。

岡田先生はテクニックではなく、成り立ちから「言葉」を教えてくれた方だから未熟者の私にとって衝撃が強かったのかもしれない。

「昔はプロが扱う言葉に触れることが多かった。しかし、SNSが溢れている現代、校正もなしに出回っているせいですごい勢いで言葉が壊れている」と岡田先生はおっしゃっていた。

「そんな今こそ、言葉を扱うプロの我々が監視しなければならない」とも。

▼壊れていく言葉たち

大阪でとある美容室に行った時のこと。普段は美容師と話すことは苦ではないのに、なぜかその日に担当した人とはすこぶる波長が合わなかった。

話しかけられたくなくて、ひたすらスマホを見てTwitterに文字を打ち込む私。そんな私を見て、美容師がカット後に一言。

「息を吸うようにTwitterしてますね(鼻で笑いながら)」

これを言われた時、『うるせ~!お前と話したくないからだよ!』と心の中で叫んだが、その後よくよく考えたら私はまさに「息を吸うように」普段からSNSを使っている人間だと自覚した。

物心ついた時からパソコンがあって(毎秒点滅している分厚いやつでネット料金が高くなるからルールもわからずマインスイーパだけをやりまくってた)、中学校の頃はブログやホムペを作ったり、小説家になりたかったからとにかく文章を書きなぐって。

こうやってnoteをしている時点で、文章を殴り書きしていた昔の私となんら変わらないのだけど岡田先生の講義で始めて「壊れていく言葉」の存在を知った。

言葉を上手く扱いたくて、ずっとやっていたことが壊す行為でもあったのだと。

でもその事実を知った反面、私はこの時代に生まれてよかったとも思った。なぜなら、自分を表現できるって最高だから。

絵描きは、絵で。音楽家は、音楽で。俳優は、演技で。

私には到達できない技でプロ達は自分を表現している。羨ましい私だって自分を表現したい、伝えたい、感じた「今」この瞬間を残したい!そんな私の手の中にあったのは溢れるほどの「言葉」だった。

誰だって扱えるものだからこそコピーライターや小説家の方がハッと思わせる言葉を扱った時、悔しくなる訳だけども。

▼ガラスの仮面で掴んだ「言葉のカケラ」

私が今までで一番印象に残っているのは、美内すずえさんの演劇漫画ガラスの仮面の2巻「本領発揮の「四つのセリフ」」のお話だ。

舞台女優を目指す主人公のマヤが「はい」「いいえ」「ありがとう」「すみません」の4つのセリフだけで受け答えをする稽古練習の場面。

マヤは「言葉は同じなのに、意味が違う」とブツブツ言うのだが、その当時小学生だった私の頭はハテナマークでいっぱいだった。

順番となり全ての質問を4つの言葉でかわしていくマヤ。しかし、ムキになったライバルの亜弓が「どんな曲がお好き!?」と意地悪な質問を投げかける。

どの言葉も使えない…と青ざめるが、彼女はおもむろにレコードを取り出すパントマイムをして「ハイ!」とそのレコードを差し出したのだ。

多分私はその時、ライバルの亜弓と同じ顔をして衝撃を受けていたと思う。この時、始めて煙のようだった言葉のかけらを掴んだ気がしたからだ。

▼同じ、だけど、違う

岡田先生が講師を務めた講座で「おいしい生活。がなぜ良いコピーか分からない」と質問していた生徒がいたが、これも上記で書いた「同じだけど違う」ということ。

感覚的にしか分からないが、ハマった時のスッキリ感が今でも多くの人を魅了しているのだと思う。

しかも、当時の「おいしい」は「これはおいしい話だ」といった形で頻繁に使われる言葉ではなかったのだと思う。言葉の「文字」としての上澄みだけを見るのはなく、その下を汲み取ることでより豊かになっていく。簡単な言葉で言うと「言葉って魔法みたいだ」。

新しい言葉の意味を作り出し、世に送り出したからこそここまでの評価を受けているのだ。やはり、このコピーは凄い。

▼言葉とは……?

今回は多くの可能性を秘めている言葉について書いたが、結局言葉は表現するための「ツール」でしかないということは肝に命じておかないといけないと常々思う。

結局は自分が体験したこと、思ったこと、伝えたいことがしっかりと自分の中にあるかどうかが結局自分を形成するのだと。

しかし、私はこれからも言葉を書くために表現するし、表現するために言葉を書いていくのだろう。

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