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「キャリアにおける寄り道」

HR Essay-2020-006

「キャリアにおける寄り道」

先日、娘が電子辞書を欲しいと言い出した。妻は高校で教師をしていることもあり、単語を引くのは紙の辞書で慣れ親しむ方が良いとしきりに薦めていたが、娘の抵抗も強固であり、重たい辞書を持ち歩く事の理不尽さと、妻自身も電子辞書を使っているのではないかと言う理にかなった主張を繰り返す。

大学で同じ講師をしている友人との雑談で辞書の話になった。昔私たちが学生だった頃、紙の辞書を引いて勉強した思い出話である。時々引くべき単語に行き着くまでに、その近くにある関係のない単語に興味を惹かれて、辞書のページをめくっていたことを共通体験として懐かしがる。ともすると何の単語を引くためにこの辞書を開いたのかを忘却してしまうことすらあった。こうした辞書の寄り道は、たいていの場合、試験前の現実逃避としての行動であり、貴重な時間を無駄な寄り道によって大幅に費やしてしまった後悔を繰り返す。

人事屋として、入社希望者の履歴書を数多く見てきた。また、社内の昇格昇進の面接の場面でも同様に職務経歴に触れてきた。キャリアにおいて、時々寄り道ともいえるような仕事の大ジャンプをしているケースがある。経歴として並べてみると、なぜ、どうしてこのような仕事に就いてしまったのかというケースに遭遇する。今までと全く異なる業界への転職や、短期間の中で仕事を転々と変わってしまい、結局、また馴染みのある仕事に戻っているケースも多い。本人は、それぞれに正当な理由や、やむにやまれない事情により選択をしてきていることも理解できる。しかし、キャリアにおける寄り道は履歴書や職務経歴書に文字情報として残ってしまう分厄介でもある。その人の職務経験の流れの良質さが面接における力強い言葉に表れてくるので、面接を受けるにあたって経歴の流れのストーリー性づくりのサポートは私の重要な役割でもある。

雇用において日本の生産性の高さを「熟練」という卓越した技能形成プロセスとして評価をしてきた小池和男氏(「日本の熟練」1981)は、社内異動、ローテーションにより、類似する複数の仕事経験を通じて熟練度が高まり、多能工化していき、仕事における異常時の応用動作の優れた対処ができる労働者を育成できたということを積極的に評価している。これが日本の持ち味だと。しかも私が感じるところは、小池氏の出張する生産の現場における熟練形成にとどまらず、日本における育成の優れた点として、工場や販売の現場と事務部門との間においても同様に異動が行われていることも特筆した強みであると受け止めている。欧米型の雇用形成と比較して得意な人材形成のシナリオ持っている日本の人的資源管理のメカニズムは、日本の企業競争力の源泉でもあった。私もこの仕組みの優れた卓越性を今後も日本企業が失わないことを願っているひとりである。ものづくりの現場を知り、販売の現場を知り抜いた人材が、いわゆる事務部門でその経験を活かして仕事を担うことは、現場で働く人々の親和性と共感性を得られるのみならず、スタッフ業務においても現場から乖離しない極めて的確な判断ができる。こうした人材形成によって肉厚のある技能を身に付けた人材が日本企業では継続的に生み出されてきた。

キャリア形成においてスジが良い職務経歴を設計していく前提条件としての良質な寄り道はとても大切なことである。企業の枠組みを超えたキャリア形成支援をしている現職においては、可能な限り良質な寄り道を積み重ねていける誘導を仕事の変化に向きあっている方に伝えていきたい。
結局、くだんの電子辞書が宅配便で送られてきた。試してみるとこれがすこぶる面白い。あらゆる辞書がこの小さな端末機器の中に組み込まれている。ブリタニカの大百科事典まで組み込まれているのには驚いた。娘はこれをどのように使うのであろうか。寄り道のスケールが果てしない彼方にでも広がっているようである。

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