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50歳、今が一番かわいいと思える人生は悪くない説

今日5月29日、誕生日なんですよ。

で、50歳になりました。
半世紀生きてきたってすごくないですか?

10代の頃は容姿コンプレックスとプライドのかたまりで、ジャニス・ジョプリンとかカート・コバーンとかと同じ27歳で死ぬ予定でいたのに、そんな伝説にはならず。

20代は仕事に没頭して。

バンドを追っかけて解散してしまって絶望して、余生のように仕事をこなした30代をこえて。

40代になってアーユルヴェーダを始めて、何もうまくいくことがなく自信もプライドもなくして、すべて構築し直す10年を過ごしました。

そんな恋愛も結婚も子育てもない、社会不適合な半世紀です。

でも、この数年、私は自分のことが大好きと言えるようになって、嫌いだった容姿さえも、いいなーって思えるようになったんですよね。

そのことに、50年生きてきて一番感動してるんです。


こじらせた幼少期

私は弟がいて(今は音信不通だけど)、幼少期は弟がすごく可愛かったので、みんな弟を「かわいい、かわいい」って言ってて。

言われてないけれど、「私はかわいくないんだなあ」と思ってました。

で、負けず嫌いなので、かわいさで勝負する場から逃げて「ボーイッシュ」と言う生き方を選択したんですよね。

だから子どもの時に、レースやヒラヒラのついた服を着た覚えがない。
むしろ、男児の服、野球のユニフォームみたいなのを好んできてた気がします。


可愛くないのに可愛いを目指すことは恥ずかしい

そのまま成長して思春期に入ると、やっぱり異性を意識したり、可愛い洋服とかにも興味が出てきます。

でも、可愛くないのに可愛いくなろうとするのは滑稽じゃないか、元が良くないんだから無理じゃないか、常にそういう気持ちがあるんですよね。

一生懸命やってみても、結局、元がいい人にはかなわないし、勉強と違って努力ではどうにもならないって、ホント10代にはしんどくて。

自分の武器では戦えないと「女子」という戦場には参加せず、「自分らしい」と言うキーワードを武器に「個性」に逃げることで、なんとか自尊心を保っていたような気がします。


でも恋愛とかになると、しんどいですよね。

女子としての武器がなく戦えないことを分かっていて、でも認められたい!みたいな承認欲求も強くて、マジで地獄のせめぎあいです。

だから割と最初から、誰かを好きになるってことを避けてた気がする。

一回ぐらいは告白したけど、普通にダメだったなあ。
で、やっぱりなーって戦えないことを確認してしまった。


この頃の写真とか、全然好きじゃないですよね。
そもそも写真が嫌いだったから、あんまりないですし。

自分の顔がブスに映って自覚するのがしんどいから、いつも写真は後ろの方にいました。


さらに当時、親との関係もものすごく悪くて、私は恋愛よりも自分の人生をどうするかについて毎日思い悩んでて。

結論、「女子」として戦うより「能力」を伸ばして生きたい人生を手に入れる方に、力を入れることにしたんです。


可愛くなくても仕事が出来れば生きていける

自分の能力にフォーカスしたおかげで、希望の大学に何とか入り、望み通りテレビ番組制作の仕事を手に入れて安定していた20代。

でも、この能力で評価され、ちゃんと出世して成果を上げたって言うことは、今まで親からの評価が低く(自分がそう感じていたんだけど)、女子としてのポテンシャルもなく、どこにも自信がなかった私にとっては大きい喜びでした。

だから、もう女子として戦えなくてもいいか!って、コンプレックスから解放されていたひと時でもあります。

だから30代になるのも、結婚や恋愛に縁がないのも不安はなかったですね。戦いを放棄してるんだから手に入らなくて当然、と思ってました。


ただね、自撮りやる人が嫌いだったんですよ。

可愛いから自慢してる、容姿に自信があるから出来るんだ、ってどっかで思ってたんでしょうね。まあ、妬んでるわけです。

戦場に出てないくせに、やっぱり執着してたんでしょうね。


自分の頼りだった「能力」が大したものでないと知る

テレビの仕事をやめたのは、39歳の時。

あまりにも体がつらくなりすぎて、50歳までがんばってから辞めても次のことががんばれなさそう、やめるなら今だ!と思って。

縁があって、インドの伝統医学であるアーユルヴェーダを学び、セラピストなり、そこからたくさんの経験をしたんですけど、ほとんどが失敗してます。

私が唯一自分が誇れると思っていた、「能力」は会社や職場を離れたら何の役にも立たなかったんですよね。

厳密にいえば、能力に助けられてはいるんですけれど、結果を出せてはいないというか、テレビの時のような「努力で自分が思い描いた成功を手に入れる」と言うことはできませんでした。

さらに47歳で、2年関わってきたプロジェクトから外されることになり、サロンも職もなくすまで追い込まれて、ようやく自分がたいしてすごくなかったことが分かったんです。

ああ、ほんとに何にもなくなった、と言うか
自分はそもそも何も持ってなかったのかも知れない、と言う感じ。

だって、
40代後半で未婚、子なし、ニート、職務経験少、容姿レベル低…

これ、確実に詰んでますよね。笑

今思っても、よく自殺しなかったと思います。

負けず嫌いが功を奏して、
心配してくれる友だちがいてくれて、
生きようと思えたんでしょうね。

で、そこから何もかもやり直しです。

自分が何を持っているのか、持っていないのか。
何がやりたくて、何が苦手なのか。

自分の価値観、固定概念、すべてひっくり返して考え直しました。

ここまで落ちたら、誰に何と思われようと関係ないですからね。
ただ必死でやるだけ。

嫌い、と思うものには何かあると考え、自撮りもやるようになったし、可愛いくないならそれをウリにすればいいのでは?と思って「真顔」にしてみたり。

自意識とプライドを捨てて自分を出したら、どんどん楽に表現できるようになりました。


そのおかげで今がある

そこから1年必死に生きて、でも大した成果も出なくて、住む家もなくしそうになった時、多くの人の助けを借りて大阪に引っ越すことができました。

で、大阪平野に来て、今日で1年。

この1年でビックリするぐらい肌の調子が良くなって、体重が自然と減って、鏡に映る自分が可愛く見えるようになったんです。

そんなことは人生で初めて。

あんなに嫌いだった自分の容姿が好きになってきました。


そしたら、人にも褒めてもらえるようになったよ!(リプ見て!笑)

これって、自分の中身が成長して、がんばってきた人生が顔に出てるってことだとしたら、私の50年ってまんざらでもないのかもしれないなあと思っています。

特に寝起きが一番かわいい顔!笑


昔は、能力は努力で進化させられるけど容姿は変えられない、と思っていました。

でも実際は、そうじゃなかった。

10代のころの私より、今の私の方が好きだし、可愛いと思っています。
自分なりにがんばって、自分らしい生き方を探してきた成果かなと自画自賛しています。

こう思えるようになるまで50年かかったけど、まあそれも人生。笑


結婚とか、子どもとか、仕事での成功とか、安定した人生とか、世で言われるような幸せは一つも持ってないけれど、まあまあ幸せです。

そんなのなくても、幸せは感じられるもんなんですねえ。
大人にならなかったら分からなかった。

ほんと、幸せって何なんでしょうね。おもしろいなあ。


そして人生100年だとしたら、まだ折り返し地点なんですよ。
50年、半分しかきてない。

短いようで、意外と長い。

とりあえずこれからの10年、もっと幸せになれるようにがんばります。

そんで、年齢とか関係なく好きなことやります。
最近のマドンナ姐さん見たら、ほんそれやな!と。

私が髪の毛ピンクにしても、誹謗中傷しないでね。笑


誕生日を機に、パーソナル演出のお仕事のやり方見直して
「パーソナル演出戦略ディレクター」って肩書も長くしました。笑

なぜなら、カッコいいから!!

みんなページ見てね。

皆さん、これからもよろしくお願いします!


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