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無理ゲーに 挑むと燃える ドMかな

毎週水曜日21時から、YouTubeチャンネルで生配信している「おSENTOロックショウ」シーズン2。

この配信では、私が伝えている「インドの伝統医学・アーユルヴェーダ」の理論を用いて、ゲストの本質を分析し、今の状況や自分の能力の活かし方など、そして季節に合わせた心と体の健康の話をしている。

noteでは、配信後にその振り返りをテキストでまとめている。


今回のゲストは、SNS活用ディレクター・トモミンこと、山田トモミさん。

真面目な一方で、自分のことを飽きっぽい、長続きしないと考えているとのこと。

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「飽きっぽい」と言う言葉の誤解

飽きっぽいっていうのは、風のエネルギーの特徴としてあげられる。

風のエネルギーは不規則、不安定、動きが早い、という性質をもつので、興味や自分の気持ちが揺らぎやすい。

その分、切り替えも早く、古いものや今までのやり方に執着することなく、新しいこともドンドン取り入れるし、軽やかに乗り替わっていけるのが風の人のいいところ。

だから、「飽きっぽい」と言うのは、風の「気持ちの変わりやすさ」に伴う感じで、興味の対象が次々に変わる、目移りしやすい、心変わりが早い、そういうニュアンスなのだ。


しかし、トモミンの「飽きっぽさ」はそうではなかった。

「やってみて、ある程度のところで出来た、分かってしまって、違うやり方を試してみたくなる」

そいういうことらしい。

これは、目移りしているのではないよね。

スタートしてゴールまで行ってしまったから、違うスタートを切る、それを繰り返すスピードが早いだけ。

だから「飽きっぽい」と言うのとは違うと私は思う。

ただし、そのサイクルが早いことには、多少のひっかかることがあったのだ。


火の人はゴールクリアを楽しむ

トモミンは「問題をクリアしていく」と言う過程を繰り返している。

この過程が楽しいから、同じこと(出来ると分かっていること)をやるのはつまらないと感じるわけ。

それは、火のエネルギーっぽいイメージだ。

火のエネルギーはどこか好戦的。
未開の地を進み、自分の道を見つけ、その先に宝物を見つける…そんな困難に打ち勝って何かを手に入れることで、自分の能力を満足させられる。

つまり、ミッションを達成すること自体が喜び。
ミッションは何でも良かったりするのである。


達成しやすいゴール設定になっていないか?

だが、トモミンの場合、このミッションクリアまでの期間が早すぎることで、他人からは次から次へとやることが変わっているように見えるのだろう。

トモミンの能力が高いから、そのスピードが速いことは確かだろうが、他人から見た時に、すべてがバラバラに見えることも「飽きっぽい」と表現されることなのかもしれない。


実は、火の人は自分が努力家で実力もある分、人からツッコまれたり否定されたりすると、激怒するようなこともある。

自分がきちんとやっている、という自負があるために「ぬかりない」自分でいたいと言う、無意識のプライドを持っている。


そんなことを考えた時に、トモミンの達成サイクルの速さは、ゴール設定がいつも「失敗しないところ」「やればできる範囲」に置かれているのではないかと言う仮説を話した。

ちょっとだけ頑張ればできるところにゴールを置いておけば、失敗を人に見られることはないので、ツッコまれることもないし、ゴールは達成するのだから自分も納得できる。

そんな構造なのではないかと考えたのだ。


この方法は、無意識のうちにやってしまってることもある。
もちろん誰も不幸にはならないわけで悪いことではないのだが、それでは持っている能力を使い切ってないような気がした。


能力をもっと引き出していくために

ここで表題の話。

「無理ゲーに 挑んで燃える どMかな」

今回は俳句風に詠んでみた。(どうでもいい)

火のエネルギーの持つ、鋭さ、熱さは、目的に向かっていくときにこそ、スゴイパワーと集中力を発揮する。

簡単なゲームでは飽き足らない。

自分で設定を高くして困難に挑むことで、火の人の本領が発揮されるだろう。


これは実務レベルの話でない。
もっと大きな人生の目的、ゴールと言うようなものがいいかもと思う。

自分の行動や、やってることが一見バラバラに見えても、実際は一番先にあるゴールに向かう直線状に並んでいる…

自分のやることを、そうやってデザインしていけば「飽きっぽい」とは思わないし、無理だと思っているゴールでも一歩一歩向かっていくはず。

そんな話を、思いつくままにトモミンに話してみた。


考えてみるとけっこう失礼な話だが、トモミンはうんうん、と納得しながら聞いてくれた。

そして、noteにその感想も書いてくれている。


人をカウンセリングするときに、私はその時浮かんできたことをストレートに話している。

正解かどうか分からないことを堂々と話すのは、かつてなら抵抗のあることだったが、迷って言葉があいまいでは意味がない。

言葉は慎重に選んでいるつもりだが、思ったことを伝えようと考えている。


そして、いつも思うのだが、やっぱり人って必要な時に必要な言葉を受け取るようになっている。

ストレートにキツイことを言ってしまったかな、と言うことがあっても、相手なりにちゃんと受け取って、何かを感じ、次の一歩に進んでくれることばかり。

だからこそ、私の方で勝手に気を使いすぎたり、湾曲して伝えてはいけない、そんな風に考えている。

私の言葉を聞きに来てくれる人は、ちゃんと聞くべき時で、聞くべき準備ができている人だと信じている。



そんな風に、自分の見方が変わるかも知れないアーユルヴェーディック・カウンセリングはこちらから!


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