ゆるやかに構成されている世界
映画『空気人形』(是枝裕和監督)を観ていたら、吉野弘さんの『生命は』という詩が出てきた。
人の心を持ってしまった人形の女の子が家の近くを散策していると
近所のお爺さんがこの詩を教えてくれる。
ゆるくきれいなBGMとともに女の子が詩を朗読し始めて
周りの人たちの日々の情景が映し出されていく。
このシーンがとても好きで、何回か見返しながらこの詩について考えていた。
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生命は
その中に欠如を抱き
それを他者から満たしてもらうのだ
(『生命は』より抜粋)
生命はその中に欠如を抱いている。
「欠如を抱く」という表現が、欠如を肯定しているような感じがする。
欠如があるから、その差を埋めようと世界が動きのあるものになる。
たぶん、均質な世界よりも濃淡がある世界の方がいい。 全部が5:5よりも、6:4や3:7が点在してる世界。
自分1人ではなく、世界の中に自分を置いて考える。
世界は多分
他者の総和
しかし
互いに欠如を満たすなどとは
知りもせず
知らされもせず
ばらまかれている者同士
無関心でいられる間柄
ときに
うとましく思うことさえも許されている間柄
そのように
世界がゆるやかに構成されているのは
なぜ?
(『生命は』より抜粋)
続いて、欠如の満たし方、世界の構成について。
“世界はゆるやかに”作られていて、ばらまかれている生命は欠如を満たし合いながらも“無関心でいられ”、“うとましく思うことさえも許されている間柄”として存在している。
また、マイナスに捉えられがちな言葉がプラスの意味合いを帯びている。
意図しなくても欠如を満たし合っている。
世界とは、自分とはそうあるべきものじゃなくて、
勝手にそうなっているものだと言ってくれているようで少し気持ちが楽になる。
愛の対義語は無関心と言うけど
そうでもない気もする。
もっと人は他人に対して無関心でもいいと思う。
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詩がこんなに面白いものとは思ってなかった。
詩を書く人は世界をよく見ている。
今度本屋に行ったら詩集を手に取ってみたい。
映画、よかったら観てみてください。
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