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#ハンターハンター

『ハンターハンター』(1999) 48話

物哀しいピアノの音楽と共にクラピカがノストラード家の館に入ると同じく面接に来たヴェーゼと目が合う。都会の大人の女性の雰囲気漂うヴェーゼの振舞いに少し圧倒されるクラピカ。この辺りからもストーリーが少年漫画の域を出ようとしているのが伺える。

ハンターハンター(1999)

クラピカとウヴォーの決闘が終わり、ウヴォーを尋問にかける手前、静寂の中シャルが窓越しに月を見るカットが入る。この後の行方を物語っているように見える。こういう場面の転換はアニメならではだと思う。

ハンターのヨークシン編や蟻編って、ゴンとキルアが物語の主役ってわけじゃなくてその状況に巻き込まれた当事者の一人って立ち位置がいい。2人の知らないところで色んなドラマがあるというか。

幽白もハンターもだけど、富樫作品って少年的な明るい世界→大人のどす黒い世界への移行が特徴的。

ゴンたちのシリアスな雰囲気と、ゾルディック家や幻影旅団の日常的な雰囲気とのギャップ。異常に見える集団の内部にはその集団なりの日常がある。

みんながみんなシリアスにならなくていい。自分とは違う人間がいることを自覚する。

個人を組織の機能として位置づけることと、個人から始まり隣り合う個人に影響が連鎖されていくことの狭間で考える。カオスの縁。

1つの組織が、有機体として、まるで生き物のように振る舞うことの難しさ。

旅団のメンバーがすごく好きになった。

そういえばこの後旅団は本当の蟲たちと戦うのか。

蜘蛛の手足それぞれが意思を持っている。

クロロを失いたくない手足。全体としての蜘蛛を成り立たせようとする手足。

後者にしても、完全な手足ではない。

クロロが拉致された後、それぞれの前提、見ている絵が食い違い始めるあたりにドラマを感じる。

『ハンターハンター』(1999) 49話

ゴンとキルアがGIを探すシーン。

ネットの住人が金目当てで偽物を売りつけようとしたり、実家のパソコンからハンター専用サイトにアクセスしようとするゴンをキルアが止める描写なんかにネットのアングラ感がある。

夏休みっぽい雰囲気も好き。