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17【香港事情】中国の法治概念と西洋的な法治概念の違い【香港版国家安全法】

中国全人代が”香港に代わって”香港版国家安全法を制定し導入する流れにあり、香港返還日にあたり7月1日より前に成立すると言われています。

国家安全法(または同様のもの)は世界各国に存在するもので、それ自体は問題になりません。

テロ行為や大規模な暴力行為など、国民の安全を驚かすおそれのある行為を取り締まるものです。

しかしながら中国において国家安全法が語られる場合、我々日本人が一般的に想像する方法で想像してはいけません。

そもそも法治の概念が異なるからです。

西洋的な法治の概念

よく耳にする法治国家とは、国家の中での物事の進め方や判断が法によって決定される国家のことで、カントをはじめとする近代ドイツ法学に由来する概念です。

美濃部達吉や佐々木惣一によって戦前の日本にも紹介されます。

美濃部達吉の「天皇機関説」を学校で習った記憶がある人も多いと思います(ちなみに天皇機関説の反対の学説は「天皇主権説」です)。

西洋的な法治のキーポイントは、法律が民主的な方法で定められるということと、定められた法律の読み方や解釈が不変であるということです。

日本は議会制民主主義を採用していますので、普段我々が直接法律を定めることはありませんし、運用することもありません。

そのかわり国民の投票によって選ばれた国会議員が国会において法律を定め、定められた法律には誰もが従わなければならず、誰が担当しても同じ読み方で行政が実際の施策を行ったり、司法の場で事件を裁くのに法律を拠り所とします。

現在の日本が法治国家の理想通りに機能しているかどうかという点については、人によって様々な意見があると思いますが、原則的には日本は法治国家として数えて問題ないと思います。

ドイツで発展した法治国家に対し、イギリスで発展した法の支配という概念は若干異なります。

イギリスでは中世以来のコモン・ロー(慣習法)の原則が浸透しています。

これは積み重ねられた判例が制度的に定められた法律と同じ効力(判例法)を持つ考え方です。

議会政治においては、議会で制定された法律には政府も一市民も区別なく従うという考えに発展していきます。

法治国家も法の支配も原則は法であり、法には誰もが区別なく従うという点では同じです。

中国的な法治の概念

一方、中国的な法治の概念を見ていきたいと思います。

実は中国においても共産党は盛んに法治国家(中国語では「依法治国」)キャンペーンを展開しています。

中国に行かれたことのある方ならわかると思いますが、街角のいたるところに習近平の顔と法治の文字が並んだポスターやフラッグをみかけます。

中国は中国なりに法治を推進しています。

ただしその意味するところは西洋的な概念とは大きく異なります。

一つの例として習近平が取り組んだ反腐敗運動という名の反対派粛清があります。

中国では共産党の一党独裁であることや、文化的背景も重なり、中国全土にわたって賄賂が横行し腐敗が進んでいました。

習近平は世間に対しては反腐敗を掲げて次々と有力者を逮捕したり表舞台から追放しました。

当然彼らは賄賂を受け取っていたり送ったりしたので、法に基づいて逮捕されることは最もですが、その多くは習近平と敵対する政治グループの関係者でした。

習近平は法を使って自身の反対派を一掃したと言えます。

※ちなみにトランスペアレンシー・インターナショナルによる最新の腐敗ランキングでは中国は80位です。小池百合子都知事の学歴詐称問題で最近よく耳にするエジプトは同ランキング106位、日本は20位です。中国は順位こそ少し上がっていますが、順位という相対的なものではなく、スコアで見た場合、習近平による反腐敗運動があろうとなかろうとスコアにほぼ変動はありまえせんので、このことからも反腐敗運動の名を借りた反対派粛清運動であることがわかるでしょう。

一般市民に対してはどうでしょうか。

別の記事でも言及していますが、中国で国家安全法が施行された2015年7月、人権派弁護士や民主派活動家が次々と逮捕される709事件と呼ばれれる出来事がありました。

また、2019年12月に中国教育部基礎教育庁が全国の小中学校の図書館を対象として、共産党のイデオロギーに沿わない書物を処分するように指示したことがありました。

この時には中国の甘粛省鎮原県の公立図書館で職員とみられる2人が書物を燃やしている写真がインターネットで拡散に大きな話題となりました。

中国では過去にもたびたび為政者に不都合な書物を焼却処分させる命令が出されていて、この時中国の知識人の間では毛沢東の時代が思い出されました。

文化大革命のころ、毛沢東の命令により中国共産党と異なる思想を持つ外国の書物の一斉に処分されたのです。

さらに、古くは秦の始皇帝の時代にも「焚書抗儒」といって、始皇帝の意にそぐわない書物を処分し、儒者を生き埋めにして思想統制を図るといったことが行われていました。

さて、上記3つ例を挙げましたが、一つ目の習近平による反腐敗運動は政府が法を恣意的に運用して反対派を粛清した事例。

二つ目の国家安全法による人権派弁護士などの一斉逮捕は政府による法の恣意的な運用とともに、本来は憲法により公安機関のみが市民の逮捕が可能となっているところ、腐敗を取り締まるために組織された紀律検査委員会の内規により長期間の身柄拘束を含む取り調べが行われるなど、政府自ら法を逸脱した例。

三つ目の書物償却は全く法律に寄らないことであっても、政府の意のままに実行できてしまう事例です。

中国において法律とは権力者が自由に使えるもので、市民を抑圧する手段になっています。

権力者の有利なことであれば過剰にでも法を適用し、仮に法に無いことであっても実際には実行してしまいます。

このような中国的な法治の在り方を法による支配と言います。

西洋のイギリスの在り方がが法の支配(rule of law)であるのに対し、中国のそれはrule by lawです。

法律を都合の良い口実や道具として政府が市民を支配するために使うという観点です。

香港に国家安全法が導入された場合の法治とは

中国にとって香港版国家安全法は長年手に入れたかったもの。

RPGゲームで喩えてみればラスボスを倒すのにどうしても必要な最強のアイテムです。

その草案を見てもわかるように、香港版国家安全法により中国は実質的に香港の支配権を握ることができます。

経済的な利益がありますので、当面一国二制度という仮面は着せ続けると思いますが、「50年不変」とされた2047年を待たずに、実質的には一国二制度が崩壊したことになります。

香港ではこれまで中国系資本によるメディアの買収や反中国的な書籍を扱っていた書店店主の拉致事件などがありました。

これからはそんなことをせずとも中国政府からの命令で反中国的な言論を取り締まることができます。

国家の安全に反していると言えば良いのですから。

デモ参加者や民主派活動家の逮捕も増えるでしょう。

香港では7月に立法会選挙の立候補期間が設けられていますから。中国で国家安全法が導入された直後に709事件が起こったように、このタイミングで一斉に逮捕されることも想像されます。

イギリス統治時代を経て香港が中国に返還された時、コモンローに基づく法システムはそのまま香港に残されました。

しかし国家安全法の導入により香港も中国式の”法による支配”体系に組み込まれていくことになります。


香港版国家安全法や立法会選挙については以下の記事もご覧ください。

16 香港版国家安全法制の内容をわかりやすく解説【全体概要】

12 中国と香港の一国二制度、香港基本法、国家安全法について知っていただきたいこと

9 2020年9月の香港立法会選挙について



今日も香港の状況は刻一刻と変わっています。そんな状況の深層を理解できるような基礎知識を得られる記事を目指しています。皆様からのサポートは執筆の励みになります。どうもありがとうございました