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牧師夫人の徒然なるままに(七四五)  「主は怒るのに遅く恵みに富むお方」(詩145・8) 

  先ごろ、大角先生が「ら抜き言葉」について書いておられました。実は私にも最近気になって仕方がない言葉表現があります。「そうですね」がそれです。
 いつのころからか、この「そうですね」が問いかけに対する返答の頭にかぶせられるようになってしまいました。昔、少なくとも一九〇〇年代にはなかったことのように記憶しているのですが。
 そもそも「そうですね」は「それはですね。つまり」と続く意味合いで使われているのでしょうか。それとも「ううん。そうだなあ。どうだろうか」という返答に際しての自分の考えをまとめ上げるための時間稼ぎのための言葉なのでしょうか。
 意味はどうであれ、ほとんど慣用句的に使用されているとしか思えません。もしかすると日本語を学ぶ外国人の教科書には既に「質問に答える前に必ず述べる慣用句」としるされているかも知れません。スポーツ選手のこの句の乱用に今を時めくビッグボスは禁止令を出したそうですが、今やスポーツ選手のみならず、巷に氾濫しています。この言葉が耳に入ると、怒り交じりに「そうですねって言うな!」と叫びます。キリストのご性質にこのような怒りはないのですから、怒るたびにキリストの似姿からますます遠ざかってしまう私です。でも、その言葉、何とかしてください!
安食道子

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