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峰町キリスト教会 牧師夫人の徒然なる

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#コラム

「牧師夫人の徒然なるままに」(八〇二)「無防備な潔さ」

 春爛漫を迎えて、スキップしながら「私は春が一番好き!」と謳っていたのはもう何十年も前の…

「牧師夫人の徒然なるままに」(七九八)「人生の目的・成功とは?」(その1)

 先日、教会に入っている本屋さんから紹介された「サークル・メーカー(最後まで祈り抜く人が…

「牧師夫人の徒然なるままに」(七九七) 「平和をつくる者は幸いです」(マタイ5・9…

 先日ある方の証を聞いていて思いました。その方がかつて怒ったり、わめいたり、声高に反論し…

「牧師夫人の徒然なるままに」(七九六) 「腰に帯を強く引き締め、勇ましく腕を」(箴…

 今年に入ってから、隔月の月曜日の午前中に会堂の掃除を受け持つことになりました。その名も…

牧師夫人の徒然なるままに(七九三) 「すべての人に開かれた教会とは?」その1

 私たちの教会はクリスチャン以外の人々にも門戸を開いたいくつかのイベントを開催しています…

牧師夫人の徒然なるままに(七九二) 「私の目にはあなたは高価で尊い。私はあなたを愛…

 身びいきをして申し訳ないのですが、我が家の愛犬リーバイはとてもかわいいです。朝に夕に、…

牧師夫人の徒然なるままに(七九一) 「私の目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」(イザヤ43) その1 

     私はいったい何者なのでしょうか。自己紹介をしろと言われたら、いったいなんと答えるべきなのでしょうか。多くの場合「私は安食道子です」と紹介しても人々の反応は「ああ、そう」という程度です。でも、私が「私の夫は峰町キリスト教会の牧師です」というと「ああ、あの牧師さんの奥さんですか」と急に理解が深まったようなご返事を受けます。夫の職業と知名度が私の隠れ蓑?になっているのでしょうか。  私は決してウーマンリブ運動に加担する者ではありません。むしろ「助け手としての妻の役割に大き

牧師夫人の徒然なるままに(七九〇) 「親切で塩味のきいたことば」(コロサイ4・6)…

 歳を重ねてきた証拠でしょうか。ここ数年、何かと昔のことがよみがえってきます。その多くは…

牧師夫人の徒然なるままに(七八九) 「心は誇らず、目は高ぶりません」(詩131・1…

 表題に挙げた詩編の続きの二節は「及びもつかない大きなことや、奇しいことに、私は深入りし…

牧師夫人の徒然なるままに(七八八) 「あなたの恵みとあなたのまことが絶えず私を見守…

 私は、詩篇の表題の祈りを心から捧げようと思います。そして、創造主はそんな私の祈りをいつ…

牧師夫人の徒然なるままに(七八七)「あなたの恵みとあなたのまことが絶えず私を見守る…

「牧師夫人の徒然なるままに」(七八七)  安食道子「あなたの恵みとあなたのまことが絶えず …

牧師夫人の徒然なるままに(七八六) 「御言にこそ真理が」    (その5)

 今の時代の風潮?は、寛容です。社会的な差別をなくそうとするこの寛容な風潮に同調できない…

牧師夫人の徒然なるままに(七八五) 「御言にこそ真理が」(その4)

 今、振り子は「寛容」に大きく振れています。ジェンダーの平等、人種間の平等、障がい者への…

牧師夫人の徒然なるままに(七八四) 「御言にこそ真理が」(その3)

 先回書いたベケット・クック著「リアル カミングアウト」は、劇的な霊的回心を経験したベケットさんが、ゲイであった過去から新しくされ、神の御前に新しいアイデンティティを確立されたことが記されています。彼は正直に、依然として同性に惹かれる思いがあることを告白しています。しかし、それを行動に移すことは罪だと示されたのです。そして何よりも彼にとっては「イエスさまに従う事」以上の喜びが無くなったのです。なんという大いなる聖霊様のお力でしょうか。読みながら何度か溢れ出る思いに、私は涙をし