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牧師夫人の徒然なるままに(七八四) 「御言にこそ真理が」(その3)

 先回書いたベケット・クック著「リアル カミングアウト」は、劇的な霊的回心を経験したベケットさんが、ゲイであった過去から新しくされ、神の御前に新しいアイデンティティを確立されたことが記されています。彼は正直に、依然として同性に惹かれる思いがあることを告白しています。しかし、それを行動に移すことは罪だと示されたのです。そして何よりも彼にとっては「イエスさまに従う事」以上の喜びが無くなったのです。なんという大いなる聖霊様のお力でしょうか。読みながら何度か溢れ出る思いに、私は涙をしました。聖霊様のお力が私のうちにも働いていてくださった喜びの経験でした。
 ベケットさんは、ご自身がかつて人々や家族から冷たい視線を浴びせられたつらい経験を忘れてはいません。ですから、彼はかつての彼と同じ「罪」から抜け出せないでいる人々へ深い憐れみをもって接することが出来るのです。
 この書には、同性愛者へのクリスチャンとしての愛に溢れるかかわり方も提案されています。刺すような視線を受けた経験者にしか語れないことです。
 今「寛容」であることが平等を導き出すかのように利用されています。しかし、本当にそうでしょうか。振り子は「寛容」に大きく振れ過ぎているのでは。  

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