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峰町キリスト教会 牧師夫人の徒然なる

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#牧師夫人

「牧師夫人の徒然なるままに」(八五七)「もはや彼らの罪を思い出さない」(へブル8…

 年齢のせいでしょうか?最近過去の事柄が突然脳裏に彷彿とよみがえることがあります。まっし…

「牧師夫人の徒然なるままに」(八五五)「喜ぶ者といっしょに喜び泣く者といっしょに泣…

 カウンセリングの大切な要素に「共感すること」があります。ただ相手の心に合わせて差し上げ…

「牧師夫人の徒然なるままに」(八五四)「片方の頬を打つ者には、ほかの頬をも向けな…

地球上のいろいろな場所での戦闘が勃発し収束の兆しが見えません。打たれたら打ち返す、傷を受…

「牧師夫人の徒然なるままに」(八五二)「各部分が互いにいたわりあうため」(Ⅰコリ…

昨年の晩秋から、私の住まいの近くにあるショッピング・モールでは華やかなイルミネーションの…

「牧師夫人の徒然なるままに」(八五一)「私たちは、見えるものにではなく 見えない…

 先日ある方との間で茶道が話題に上りました。難しく細やかな所作を通して立てられるお茶は、…

「牧師夫人の徒然なるままに」(八五〇)「こうして、幕屋のすべての奉仕が終わった」…

 出エジプトと共に、主は幕屋の建設を命じられました。そして民は喜んでその建設に携わりまし…

「牧師夫人の徒然なるままに」(八四八)「あなた方がしらがになっても、わたしは背負う私は背負って救い出そう」(イザヤ46・4)

 その朝、目覚めると同時に右手指がこわばっているような気がしました。曲げようとすると痛みがありました。気のせいか少しむくんでいるような気もしました。左手指と比べてみるとその異変は明らかでした。  嗚呼、これは脳みその病気だろうか。それともリュウマチ系統の病気だろうか。あれこれと思い悩みました。動かさなければ全く痛みもないし、動かしてみればどの角度にも簡単に回転します。痛いなあと思いながらも「まあ、いいか」といういつもの放置癖にのっとって二,三日を過ごしました。  四日目ぐ

「牧師夫人の徒然なるままに」(八四七)「まもなくかなたの流れのそばで」(新聖歌4…

先週はイースターの召天者記念礼拝でした。「賛美の会(MCC48)は毎年イースターで特別賛美を…

「牧師夫人の徒然なるままに」(八四六)「主よ、お知らせください。私の終わり、私の…

「あれよ。あれ。」「うん。そうそう。あれね。」夫との会話の中でこんな??が増えてきました…

「牧師夫人の徒然なるままに」(八四五)「足のともしび、道の光なるみことば」(詩1…

 体のためにと、毎日、決めた運動を続けてきました。お金をかけてGymに通うことは止めて、…

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「牧師夫人の徒然なるままに」(八四四)「主は悪者の行いを忌みきらい、義を追い求め…

 私の住まいの横には、なだらかなスロープに芝生を敷き詰めた散歩道が続きます。愛犬家にはも…

「牧師夫人の徒然なるままに」(八四三)「助け手としての役割に思う」 

  私は、結婚する時に、夫から「助け手」としての役割を頼まれました。そして、それを大いに…

「牧師夫人の徒然なるままに」(八四二)「ロトについて思う事」(創世記一三章~)

 アブラムの旅に甥のロトは最初から随伴しました。  ロトはおそらくは有能な人物だったので…

「牧師夫人の徒然なるままに」(八四一)「アブラハムの視点」その2(創世記一三章)

 さて、生活圏を分離することになり、ロトは自分で選んだ地へ移動しました。残念なことにロトが選んだ地に住む人々は、よこしまな人々でした。聖書には「ソドムの人々はよこしまな者で、主に対しては非常な罪人であった」(13節)と書かれています。  もし、ロトの選択が逆だったらどうなったでしょうか。恐らく、幾多の困難を経験することにはなったでしょうが、たとえソドムに住んでも、アブラムなりの人間関係を築いていった可能性はないでしょうか。  私の周囲を見回してみても、対人関係は必ずしも環