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峰町キリスト教会 牧師夫人の徒然なる

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#聖書コラム

「牧師夫人の徒然なるままに」(八五七)「もはや彼らの罪を思い出さない」(へブル8…

 年齢のせいでしょうか?最近過去の事柄が突然脳裏に彷彿とよみがえることがあります。まっし…

「牧師夫人の徒然なるままに」(八五五)「喜ぶ者といっしょに喜び泣く者といっしょに泣…

 カウンセリングの大切な要素に「共感すること」があります。ただ相手の心に合わせて差し上げ…

「牧師夫人の徒然なるままに」(八五四)「片方の頬を打つ者には、ほかの頬をも向けな…

地球上のいろいろな場所での戦闘が勃発し収束の兆しが見えません。打たれたら打ち返す、傷を受…

「牧師夫人の徒然なるままに」(八五三)「野のゆりがどうして育つのか」 (マタ6・…

植物の可憐さ、美しさを見て心が慰められない人はいないと思います。いったい植物は何のために…

「牧師夫人の徒然なるままに」(八五二)「各部分が互いにいたわりあうため」(Ⅰコリ…

昨年の晩秋から、私の住まいの近くにあるショッピング・モールでは華やかなイルミネーションの…

「牧師夫人の徒然なるままに」(八五一)「私たちは、見えるものにではなく 見えない…

 先日ある方との間で茶道が話題に上りました。難しく細やかな所作を通して立てられるお茶は、…

「牧師夫人の徒然なるままに」(八五〇)「こうして、幕屋のすべての奉仕が終わった」(出39)

 出エジプトと共に、主は幕屋の建設を命じられました。そして民は喜んでその建設に携わりました。 昨年から、婦人会の主催で会堂のお掃除を定期的に行っています。集まる婦人たちは、御自身のご都合に優先させて「主の宮のご奉仕」に励んでくださっています。彼女たちの笑顔のご奉仕の姿は(大袈裟かも知れませんが)今から三千年以上も昔に幕屋作りに励んだイスラエルの民のかいがいしい姿と重なります。  お掃除のロボットまで出現する現代です。ゴミや塵が取り除かれ、汚れが落とされるならば、どんな手段

「牧師夫人の徒然なるままに」(八四八)「あなた方がしらがになっても、わたしは背負…

 その朝、目覚めると同時に右手指がこわばっているような気がしました。曲げようとすると痛み…

「牧師夫人の徒然なるままに」(八四七)「まもなくかなたの流れのそばで」(新聖歌4…

先週はイースターの召天者記念礼拝でした。「賛美の会(MCC48)は毎年イースターで特別賛美を…

「牧師夫人の徒然なるままに」(八四六)「主よ、お知らせください。私の終わり、私の…

「あれよ。あれ。」「うん。そうそう。あれね。」夫との会話の中でこんな??が増えてきました…

「牧師夫人の徒然なるままに」(八四五)「足のともしび、道の光なるみことば」(詩1…

 体のためにと、毎日、決めた運動を続けてきました。お金をかけてGymに通うことは止めて、…

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「牧師夫人の徒然なるままに」(八四四)「主は悪者の行いを忌みきらい、義を追い求め…

 私の住まいの横には、なだらかなスロープに芝生を敷き詰めた散歩道が続きます。愛犬家にはも…

「牧師夫人の徒然なるままに」(八四三)「助け手としての役割に思う」 

  私は、結婚する時に、夫から「助け手」としての役割を頼まれました。そして、それを大いに…

「牧師夫人の徒然なるままに」(八四二)「ロトについて思う事」(創世記一三章~)

 アブラムの旅に甥のロトは最初から随伴しました。  ロトはおそらくは有能な人物だったのでしょう。アブラムと対等に渡り合えるほどの家畜や牧者を従えていました。やがてはそのことで二人は分離策を取る事になるのです。  創世記一四章には四人の侵略者の王たちに捕虜となってしまったロトをアブラムが救い出し、すべての財産も取り戻したことが記されています。恐らくロトはソドムやゴモラ地方に住みながらも、当初は遊牧民として、街の外に住んでいたのではないでしょうか。  ここからは私の推論も入