「遊軍」と「遊び軍」

経営トップ層で将棋を趣味としている方がたとえ話に持ち出すトップクラスは「適材適所」「攻防の判断」である。今回は「適材適所」について見解を。

適材適所にあてはめれば「駒の特徴を把握し、長所を活かし、短所を補い、効率的に使え」ということ。逆に相手に対しては長所を殺し、短所を突くように持っていくのが良い指し方である。

概ねうなずける話だが、「紹介しておしまい」ではハナーが記事にした意味がない。私なりに若干違う角度で展開をしてみる。

適材適所に含まれるのが「遊びごまをつくらない」ということ。特に将棋の場合は互角の戦力で始まるので、遊び駒が多いとその分不利になる。遊んでいる軍隊と言う意味では「遊び軍」(出典は名古屋の友人)と言える。

「遊び軍」と似た言葉に「遊軍」と言う言葉上がる。こちらは戦列の外に待機しており、時機を見て味方を援護、あるいは敵を攻撃する戦力のことである。

共通点は「今現在は直接は働いていないこと」。異なる点は「将来も働きそうにない」か「将来的には働きそうか」ということだろう。

盤面を見渡すと「今働きが弱い駒」は多数存在する。だが、将棋の場合は戦力も互角なら手番も交互であり、限られている。遊軍のみならず、現在働いている戦力のさらなる活用にも手番が必要である。きわめて効率よく順序を決めて駒を動かさなければ負ける。最終的には駒効率が良い方が勝つ。その意味では「駒効率」は「駒得」よりも優先される概念なのだろう。いくら駒得してもてめぇの玉を詰まされれば負けるのだから。

考え方としてはいくつかある。

①遊軍を1手番で即戦力にする=自軍の効率を上げる。企業でいえば新入社員を研修で使えるようにするボトムアップな活動だろうか。角道を開けるのはこれに該当する。

②自軍の邪魔駒、いないほうが良い駒を消化する=企業でいえば「リストラ」にあたる。その駒が存在するせいで玉の逃げ道がふさがっている壁銀などをどうにかする。

③自軍全体を見て複数の駒効率が上がる手を指す。飛車先の歩の突き捨てなどはこの事例になる。これは自軍全体利益の最大化である。

最後に上記3パターンすべてに「ウラ」が存在する。相手の妨害を考えればパターンは倍増する。これだけパターンがあれば手が見えなくて困ることはない。どの手から指すかと言う順序に悩むことは多いが。

昔は「将棋とは駒の取り合いである」と思っていたが、最近は「位置の取り合い」だと思っている。位置を取り合った時点で駒の取り合いの結果は大方決まってしまっている。

で、もっぱら最近のルールは「位置の取り合い」の概念は簡略化されていて、ひたすら「積み上げ数値のぶつけ合い」になっているように見えてちょっと悲しいというのも個人的センチメンタルである。だって数値積み上げって、最初に思いついた人間がいたとして、誰でも簡単にマネできてしまうのが物悲しいなと。ある強いコンボが発見されればそれを丸パクリすればあっという間に並べてしまえる。そうならないようにスキルやアーツも「悩ませる構造」で作りたいというのも個人的見解だが。

表層や目先には一定の価値がある。逆に言えば一定の価値でしかない。「今さえ楽しければ未来はどうでもいい」というように多層構造が見えない人間は不可知ゆえ考える領域が少ないという意味ではラクだろう。まあ、人それぞれの人生だろう。

CIA(内部監査人)や行政書士資格から「ルールについて」、将棋の趣味から「格上との戦い方」に特化して思考を掘り下げている人間です。