少数の狭量な人間の意見で済みにくい社会が加速する

■「苦情にモヤモヤ」「自宅に帰りたくない」子どもの声は騒音ですか?
(朝日新聞デジタル - 08月11日 17:05)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=7522640

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故・上岡龍太郎氏が大意としては「クレームで騒ぎ立てる一部の狭量な者のせいでテレビ制作に制約が付く」「政治や経済と違ってテレビの制作者なんて適当でどーでもいいのにクレームをつける存在がいるからおもしろくなくなる」というようなことを30年以上前に発言していたと聞いて先見の明を感じた。

「自由」「平等」「博愛」の順序で考える。まずは個々人の自由が尊重されるべきだが、それぞれが自由を主張すると他者の自由を侵害する場合が生じるので「平等」の概念で調整が入る。自由と平等では救いきれない弱者救済として「博愛」という努力目標が入る。

で、子供の声を騒音として騒ぐのは上記の「相互の自由の伸長による平等で調整すべき課題」なのだろうが、いかんせん狭量な少数派の意見を聞きすぎると窮屈になりすぎる気がする。

CIA(内部監査人)や行政書士資格から「ルールについて」、将棋の趣味から「格上との戦い方」に特化して思考を掘り下げている人間です。