見出し画像

居場所について考えたあれこれ

居場所とかサードプレイスとか、まあそんな感じのことを仕事柄聞くことが多いのだけど、なんだかモヤモヤする。ここでいう居場所とは、心理的なニュアンスをもつ。

理解はできる。大切で、必要だと思う。
そして私に問う。私の居場所って?サードプレイスって?
なんだろうか。

はて。
(虎に翼大好きです)

ずっとわからなかった。これが私の居場所だ!とピンときた覚えがない。え、ないの?

そんなことをぼんやり考えて過ごしていたある日、自分の居場所を見つけました。見つけたというか、気づいた。ずっと前からあった。

それは仕事でうまくいかないことがあり、気持ちがどうしても沈んでしまった日のこと。
あーこういう時は大好きなBUMP OF CHICKENのライブDVDでも見るしかないなーと見ていたときのこと。

1人で夜な夜な泣いたり笑ったりしながら見ていながら(書くの恥ずかしい)、自分が自分であることを認められるというか、居心地がいいことに気づいたんですよね。

あれ、これってもしや私の居場所でサードプレイスってやつじゃないかい?

思えば中学生の時から、もうどうしようもなく気持ちが沈んでいる時頼るのはBUMPの曲たちだったな。
ライブDVD買えな買った時は、歌詞カード見ながら聴いていた。時には歌詞を書き写しちゃったりして(笑)

夜な夜な1人でじっくりBUMPの曲を聴ける空間が私の居場所なのだなーと気づいた。
辛いとき、その居場所に行けば自分の心が少し回復することを知っていたことに気づいた。
なーんだ、自分にもあったじゃん、居場所。

自分にも居場所があったことに気づき、また次の問いが現る。
居場所づくりとは、なんだ?居場所をつくるってどういうこと?

なんとなくは理解できる。その人にとって安心できたり、自分の役割を感じることができるような場をつくっていくこと。

それはそうなんだけどなーと思いつつ、なんでモヤモヤしてるのかなーと考える。
そして気づく。
居場所ってその人が思うことだから、居場所って本人以外が名付けたくないのだなあ、と私は思っているのだなあ、ということ。

あなたを受け止めてくれる場はきっとあるし、私もそのような存在になりたいし、それをあなたが居場所だと名付けてくれたらいいな。
別に居場所という名でなくてもいいけど。

その人が居場所だと思える場、空間を一緒に探して行くことが私にとっての居場所づくりの解釈なのだなー

なんだかモヤモヤが少し、晴れた。

ここで何を書きたかったのかわかんなくなっちゃったけど、わかんなくなったついでに、書きながらだから私はBUMPが好きなのだなーと思った。

なんていうのかな、新曲のstrawberryで「その涙はあなただけのものだから」と歌っているように、メーデーで「分かちあえるもんじゃないのなら二倍あればいい」と歌っているように、真っ赤な空をみただろうかで「あいつの痛みはあいつのもの」と歌っているように、個人が感じることをちゃんと個人として尊重しているとこが好きなんだろうな。

だから私はどうしようもないよ、ということともちょっときっと違くて。
それでも分かろうとしたい、力になろうとしたい。
それもまた、私が感じる大切なことなんだなあと思えるから、BUMPの曲が好きなんだろうな。

なんの話ししてたっけ。

9月からのBUMPのツアーが楽しみだなあという話しなのかもしれません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?