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トラウマお焚き上げと茶番センサーの相性の悪さについて
トラウマを脳内で“封印する”過程。
私の場合、鬱ピーク・フラバピーク時には特に、
トラウマにただ蓋をするだけというのはできなくて、
トラウマやそれに関連する人達を頭の中で火にくべてた。(危険人物w)(※脳内フィクションです)
無理くり相手のせいにしてしまうのだ。
本当はこの段階はない方が良いという見方をする人もいるかもしれないけど、当時の私にとっては自分がこの世から消えてしまわないために必要だった
頭の中の消しゴムが追って来る
これ見た✨
私の場合を書いておく。いつか何か他に考え事する時や誰かに何か伝えたい時に役立つかもしれないから。
私の場合、
単語や短いフレーズや五感(情景・匂い・感触・味・音)がそれぞれ相互に結び付きながら頭の中に散らばってる。
記憶力ないから思考する時も頭の中のその一ヶ所に着目すると他(頭の中の他の部分)が見えなくなる。
だから文章でタタタタッと残して整理したり、
ブレインストーミング?みた
“ぬ゛あ゛ーっ!!”感
おいら、“その人の持ち前のものに逆らって書かれた文章”にも敏感かもかもしれない。四角過ぎたり丸過ぎたり整い過ぎてる印象を受ける。そっちのタイプのちぐはぐ感には、子供の頃“綺麗なリズムに合わせて全員同じ動きをする集団”に対して抱いた事があるのと同じ嫌悪感を感じる。“自分や他人の中に当たり前にあって良いものを抹殺する形で擬態している同類の言動”もそうだな。そんな感じだからもちろん自分の過去の文章にも気
もっとみるこれも共感覚と呼んでいいやつですか?
定型者だと「人→物」、非定型者だと「物→人」の順に興味を持つという話を見て思ったけど、
いくら推しのライブのサポメンでも、ライブで一音聴くまで“なんか全体的に濃い人”て印象しかなく興味なかったから、私もそんな感じなんだろな。「物→人」というか、「五感→人」的な。
一音聴いた瞬間ブワァ〜ッと、脳内の一番奥にある心地良い世界を構成する五感に一気に繋がるっていうか。
自分の中で全部連動してる“心地良
娘、家族以外の大人相手だったり、集団が同じ動きをするような場面とかでくっきり緘黙出る。それ以外は活発だし察するしコミュ強。非言語受け取り過ぎタイプ?感覚過敏の毛はありそう。で、予約待ち。
出来てる自覚のない人/出来てない自覚のない人 その間の溝
私はここ数年でやっと“つらい”を獲得できた。
“つらいの感覚を持っている者”になった。
持っていないのに「気付け」「分かれ」と追い詰められる苦しさも知ってるから、
“持っていない者”に押し付けようとは思わない。
⚫︎私は多分WAISのwm(聴覚情報)の数値を実体験に置き換えて紐付ける力を“たまたま元々持っている”。
⚫︎そこから“視覚的wmの実際と理想の間でも私は過剰適応してきたな”と想像でき
自分の感情の捉え方(激しく中途半端なメモ)
人間の感情、殊に自分自身の感情に関してももしかするとASの方が解像度高いんじゃなかろか。幼少期から。
だから大人の代弁(こんな気持ちだったんだよね?とか)に一々、違う違う!って心の中で激しい抵抗感や“ほへっ?”感があるし(なんなら今も。)あるし、
定型文化の文脈では負の感情(反応?)として語られているものも、
ASにとっては“普通に受け入れられるもの”“存在していて良いもの”として受け止めている
“猫”と呼ぶのか“四足歩行のミャオ”と呼ぶのか
猫によく似た生き物を指して、多数派の人達が「あれって猫だよね」と言うのに対して、「いや、これは四足歩行の哺乳類ぽくてミャオと鳴いたり喉をゴロゴロ鳴らしたり云々…な生き物です(断言せず)」
みたいな所が私にはある。
人間の感情とか感じ方に関しては特にそれが当て嵌まる。
相手が指すものと自分が指すものとでは成り立ちが全然違う気がして、そこを妥協すると後々困る気がして拘っちゃうっていう。
“あなたの
フラッシュバック?タイムスリップ?解離?
腑落ちせず未消化のままにせざるを得なかった場面は、常に意味(解釈)を取り除いた状態でショート動画で無意識の部分に保存されていて、
①10、20代の頃は、きっかけとなるキーワード(言葉や似たような場面)に出くわす度、現実に中々戻って来れない程の苦痛を伴い強制的に自動再生されていた。
②それについて、障害特性を踏まえない方法で振り返りをしていた20代前半〜30代前半(“こうすれば良かった。これから
貼られたラベルがセルフイメージになる
ポスト見失っちゃって確認できないけど、医師の「やる気ない人もいる」発言は刺さらんでいい人に刺さるから控えて欲しいかも。自分軸が自分の中にない人はどれだけ限界を超えていようが他者にそう言われたら無防備に“私はそうなんだな”て思っちゃって本音言えなくなるから、治療者側にとっては必要な情報引き出せなくなるという困った事態に陥るのでは?と思ったりなんかする。わ
実は“妥協の「好き」”が多いのかも?
私の好きな物はいつも中々見つからないのが基本だから、無理に選んで「好き」と言おうとしてみたりってのは私あるあるで、
ブラとか眼鏡とか髪飾りとかもそんな感じなんだけど、
ギターの音色に“あっ”て思うなんて全くの想定外だったなと。必需品とは思ってなかったはずだったし、一生懸命探してた訳じゃないのにね。
生きてるだけで出会えるもんだな。
良かった良かった。
↑これ、デュランさんのライブ後にXに投稿しよ