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特別支援と稲葉浩志の歌詞に恋をしている普通の自閉スペクトラム小学生の母でありコンサータ…

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特別支援と稲葉浩志の歌詞に恋をしている普通の自閉スペクトラム小学生の母でありコンサータのお世話になっている当事者。

最近の記事

カガワ

私の中の“カガワ”はいつもあらゆる可能性を想定する。 どれも“あり得ない”と見なすことなく平等に。 淡々と。 受け入れがたい可能性もさらりと並べる。 カガワはそれを“なきもの”とする雰囲気に敏感。 “気付いていますか?” “覚えていますか?” と念入りに語りかける。 とてもしつこい。 リアルタイムでのやり取りにおいて、 アウトプットの出口を詰まらせる張本人。 “または?”“もしも?”の枝分かれで私の脳キャパを埋め尽くす。 私は自分以外の人のために彼を無理矢理制する事も

    • “ぬ゛あ゛ーっ!!”感

      おいら、“その人の持ち前のものに逆らって書かれた文章”にも敏感かもかもしれない。四角過ぎたり丸過ぎたり整い過ぎてる印象を受ける。そっちのタイプのちぐはぐ感には、子供の頃“綺麗なリズムに合わせて全員同じ動きをする集団”に対して抱いた事があるのと同じ嫌悪感を感じる。“自分や他人の中に当たり前にあって良いものを抹殺する形で擬態している同類の言動”もそうだな。そんな感じだからもちろん自分の過去の文章にも気持ち悪いものがいっぱい。 世の中がそういうものを賞賛するのを感じる時、ぬ゛あ゛

      • これも共感覚と呼んでいいやつですか?

        定型者だと「人→物」、非定型者だと「物→人」の順に興味を持つという話を見て思ったけど、 いくら推しのライブのサポメンでも、ライブで一音聴くまで“なんか全体的に濃い人”て印象しかなく興味なかったから、私もそんな感じなんだろな。「物→人」というか、「五感→人」的な。 一音聴いた瞬間ブワァ〜ッと、脳内の一番奥にある心地良い世界を構成する五感に一気に繋がるっていうか。 自分の中で全部連動してる“心地良いスイッチ”。どれか一個押せば全部on、みたいな。 風が吹いたら桶屋が儲かる、

        • 娘、家族以外の大人相手だったり、集団が同じ動きをするような場面とかでくっきり緘黙出る。それ以外は活発だし察するしコミュ強。非言語受け取り過ぎタイプ?感覚過敏の毛はありそう。で、予約待ち。

        • “ぬ゛あ゛ーっ!!”感

        • これも共感覚と呼んでいいやつですか?

        • 娘、家族以外の大人相手だったり、集団が同じ動きをするような場面とかでくっきり緘黙出る。それ以外は活発だし察するしコミュ強。非言語受け取り過ぎタイプ?感覚過敏の毛はありそう。で、予約待ち。

          出来てる自覚のない人/出来てない自覚のない人 その間の溝

          私はここ数年でやっと“つらい”を獲得できた。 “つらいの感覚を持っている者”になった。 持っていないのに「気付け」「分かれ」と追い詰められる苦しさも知ってるから、 “持っていない者”に押し付けようとは思わない。 ⚫︎私は多分WAISのwm(聴覚情報)の数値を実体験に置き換えて紐付ける力を“たまたま元々持っている”。 ⚫︎そこから“視覚的wmの実際と理想の間でも私は過剰適応してきたな”と想像できる力も“たまたま元々持っている”。 ⚫︎WAISの検査項目と困り事が重なって“つ

          出来てる自覚のない人/出来てない自覚のない人 その間の溝

          自分の感情の捉え方(激しく中途半端なメモ)

          人間の感情、殊に自分自身の感情に関してももしかするとASの方が解像度高いんじゃなかろか。幼少期から。 だから大人の代弁(こんな気持ちだったんだよね?とか)に一々、違う違う!って心の中で激しい抵抗感や“ほへっ?”感があるし(なんなら今も。)あるし、 定型文化の文脈では負の感情(反応?)として語られているものも、 ASにとっては“普通に受け入れられるもの”“存在していて良いもの”として受け止めている(センシティブ耐性?)から、 定型側から見たら“自分自身の負の感情を認めてない”

          自分の感情の捉え方(激しく中途半端なメモ)

          “猫”と呼ぶのか“四足歩行のミャオ”と呼ぶのか

          猫によく似た生き物を指して、多数派の人達が「あれって猫だよね」と言うのに対して、「いや、これは四足歩行の哺乳類ぽくてミャオと鳴いたり喉をゴロゴロ鳴らしたり云々…な生き物です(断言せず)」 みたいな所が私にはある。 人間の感情とか感じ方に関しては特にそれが当て嵌まる。 相手が指すものと自分が指すものとでは成り立ちが全然違う気がして、そこを妥協すると後々困る気がして拘っちゃうっていう。 “あなたの言う「それ」と私の「それ」とは違う”感。 だけど、“あなたが私の感情を「それ」

          “猫”と呼ぶのか“四足歩行のミャオ”と呼ぶのか

          フラッシュバック?タイムスリップ?解離?

          腑落ちせず未消化のままにせざるを得なかった場面は、常に意味(解釈)を取り除いた状態でショート動画で無意識の部分に保存されていて、 ①10、20代の頃は、きっかけとなるキーワード(言葉や似たような場面)に出くわす度、現実に中々戻って来れない程の苦痛を伴い強制的に自動再生されていた。 ②それについて、障害特性を踏まえない方法で振り返りをしていた20代前半〜30代前半(“こうすれば良かった。これからはこうしよう”と考えるけど特性的に無理があった。)は、苦痛の度合いに変化はなかっ

          フラッシュバック?タイムスリップ?解離?

          貼られたラベルがセルフイメージになる

          ポスト見失っちゃって確認できないけど、医師の「やる気ない人もいる」発言は刺さらんでいい人に刺さるから控えて欲しいかも。自分軸が自分の中にない人はどれだけ限界を超えていようが他者にそう言われたら無防備に“私はそうなんだな”て思っちゃって本音言えなくなるから、治療者側にとっては必要な情報引き出せなくなるという困った事態に陥るのでは?と思ったりなんかする。わ

          貼られたラベルがセルフイメージになる

          見て楽しむ

          “嫉妬”の包みをほどくと、 “この世界では皆こう在らねばならない”って 呪いが顔を出し、 それに対して“そんな事なくない?”って思った瞬間本体も包みも消える。 そういう嬉しい失くし物が増えてきた気はする。 素敵なものを見たからといって自分もそうならなくてはいけない訳ではないとわかったら、 無意識に「可愛い」「素敵」が漏れ出るようになる。 他人の幸せはただの“鑑賞物”であって、“自分のミッション”ではない。 “見て楽しむもの”。 なんでもいつでも“それを出来る人がやれば

          見て楽しむ

          チクチク

          やらないとやられる精神の人を見た時、今はその人はそんな時期なのかなと一旦は見守ることにしてる。攻撃的ぐらいにならないと自分を守れない時期はあるから。そこでああだこうだ言うと拗らせて長引いてしまう。元は繊細で傷付いてそうなっているだけでちゃんとこちらの様子も不安げに見てるから。多分

          エンパシーと境界線

          君にしかわからないこと 僕だけが見えていること 私にとっての“お神輿ギター” 僕にとっての“胸毛に弁当” どれもホントのこと 私の感覚だと“胸毛に弁当”ぐらい距離や違いがあるとビビらない。 微妙に近いと無意識に無理して染まろうとするからビビるのだ。 心の中でしっかり境界線を引けると良い。 場面緘黙にも共通する部分なのかな? とりとめのない想いごと。

          エンパシーと境界線

          実は“妥協の「好き」”が多いのかも?

          私の好きな物はいつも中々見つからないのが基本だから、無理に選んで「好き」と言おうとしてみたりってのは私あるあるで、 ブラとか眼鏡とか髪飾りとかもそんな感じなんだけど、 ギターの音色に“あっ”て思うなんて全くの想定外だったなと。必需品とは思ってなかったはずだったし、一生懸命探してた訳じゃないのにね。 生きてるだけで出会えるもんだな。 良かった良かった。 ↑これ、デュランさんのライブ後にXに投稿しようとしてたやつ。 そうなんです。 私、ブラのデザインに凄くこだわりあるみたい(

          実は“妥協の「好き」”が多いのかも?

          自分を犠牲にし過ぎた人々の荒ぶり期

          高校生の頃に学校でストレスチェック受けた時の事思い出した💡 私はその時すでに保健室登校してたけど、強くあろうとして心のエンジンふかしてる過渡期だったから、 (※その爆発的な底力が後に逆に過剰適応限界突破の燃料にもなってしまうのだけど。) 自分の中の“こうありたい!こうあらねば!”が回答に反映されてたんだろね?検査結果のアドバイスがなんと、 “もう少し周りの人の事を考えましょう”的な、無神経気味の人向けのものだったんですよ() (大きなお世話だ馬鹿野郎!って過去の自分から

          自分を犠牲にし過ぎた人々の荒ぶり期

          レーダーかあ…

          もしかすると小さい頃から自分の興味関心がそこだったのか、“慢性的に何かある感じの同級生に関する記憶”は、幼少期のものから思春期辺りまで、自分の目の届いていた範囲内では鮮明です(キャパと交友関係は狭いし情報難民だけどw)。 そのせいなのかどうなのかわからないけど、 現在、保育園巡回相談の先生と“見る目”は近い気がしています。 保育園で2歳頃から“この子…”と気になっていた子は就学前の相談にもピックアップされていました。“見逃されているな”と思う子もいるけど、それは私の思い過ご

          レーダーかあ…

          恋人の立ち位置

          私の場合、恋人に対して無意識に、社会と自分との間の“通訳役(情報を噛み砕いて幅広く提供してくれるとか、多数派の視点を話してくれるとか)”を求めているような側面もあって、 そう考えると“え?私にとって歴代の恋人達は捕虜だったの?”って感じもする。自分怖え() 私の場合は大概自分から別れを告げるから、 見捨てないでええ!なったりとか逆恨みとかはしなかったけれど、 ど近眼なのに眼鏡無くすような、右も左もわからない暗闇に佇むような、耐え難い不安はあったなと。耐えたけど。(全部飲み

          恋人の立ち位置