見出し画像

メンタルーツカウンセリングのススメ

たまに自己カウンセリングをしています。

自分のメンタルのルーツ、「メンタルーツ(心の根源)」を知るための方法がメンタルーツカウンセリングです。
※メンタルーツカウンセリングは私の造語です。来月の応用心理講座で紹介する予定です。

そのカウンセリング方法は、自分の子供の心との対話をする前提として、親から自分の子供の頃の事や、親の親(祖父・祖母)のことを聞いたりし、それらの材料を元にして、自分のマインドがどのように関係しているかを自己対話によってカウンセリングする方法がメンタルーツカウンセリングです。
(自己対話にはメディテーションを用います)

その家には家系図といものがありますが、心にも家系図みたいなものがあり、メンタルにもDNAみたいなものがあるかもしれません。そのメンタルDNAがどのように受け継がれているかをみます。そのメンタルDNAに「心の矛盾」「心の衝突」があるかもしれません(価値観の衝突と言ってもいいかもです)。そこがコンプレックス(感情複合)の基礎になっているかもしれません。しかし、複数の価値観があるからこそ、コンプレックスが起こると考えるなら、それは心の複雑さを意味するため、苦しさもありますが、それだけ心の豊かさにもつながるかもしれません。メンタルーツカウンセリングでは、コンプレックスとは、そのように捉えます。

私は母親と離れて暮らしていますが、月に数回、食事をします。その時に、自分の子供の頃のことや、母親の子供の頃のこと、祖父・祖母のこと、当時の家庭環境などを聴くようにしています。そうしたことが、自分の無意識に関係している可能性があるからです。

今日のお話は、母親の母親は全く子育てをしなかったこと!
仕事が忙しいので、子育てに関心がない!とのことでした。まあ、昭和の時代なので、子育ては母親がしなくても誰かがしてくれるという時代だったみたいです。
(その代わり、商売は物凄く成功した金持ちばあちゃんですw)
母親は、その母親から抱かれた記憶がなく、逆に、父親にだっこされたり、寝付かせてもらったりしていたみたいです。そこはやはり、母性は必要で、父親が母性的な役割をしていたのだなと。
こうしたところが、母親の概念の外れたマインドにつながっているのかなと思い、そこが私にも受け継がれていると感じました。
つまり、「男ならこうだ、女ならこうだ」という概念が私にはあまり存在しません。「母親だったらこうだ」というのもなくていいと思います。その概念は、日本の場合、儒教的な文化があるので、それが抑圧の原因になっていると思われます。
(ここでいう「儒教的」というは、儒教的なものを歴史上の為政者が利用してきた封建的なものであり、儒教そのものではありません)
以前、母親も「自分は男並に働いていた」と言ってました。そうしたメンタルーツは祖母から受け継いでいるのだなと思いました。そして、祖父からは、寛容の精神を受け継いでいると分析します。
祖父は相馬御風先生の弟子で、歌の先生もしていた文化人の面白い金持ちじいちゃんなので、またご紹介できたらと思いますwこのおじいちゃんを、孫の私が子供の頃に振り回した話とかww
このじいちゃんの寛容性が母親のテキトー感覚を作り出し、私もテキトー感覚、なるようになる、みたいな感覚になっているのだと思いますw
しかし、メンタルーツカウンセリングでは、この感覚の違いを分析します。
例えば、私のテキトー感覚と母親のテキトー感覚は微妙に違うのです。そこには、父親の精密性・凝り性が関係しているからです。だから、私のテキトー感覚は、やり込んで・やり込んで・やり込んでみて、最後は結局、「人間ができることって限界があるよね?」ってなってテキトーに結論を出す感じなんです。テキトー感覚で結論だして、最後はまーよーわからん、って自分で突っ込む感じなんです。それは宇宙の複雑性を尊重した部分です。そこらへんが、私自身なんだと思います。
このように相対化することで、自分自身の価値観と先祖から受け継がれている価値観が相対化できる、それがメンタルーツカウンセリングです。

心理学のある一派では、中年の危機、ミッドライフクライシスがあるといいます。その時に、人はどこから来て、どこへいくのかという抽象的な問いかけをするそうです。そうした、中年クライシスの予防にも、メンタルーツカウンセリングを行ってみてください。

ちなみに、私は、医療系の研究所を退職して、心理学の教授が経営する民間の心理学の研究所で働いて、人間心理を研究していました。その先生から教えていただいた内容もベースにあります。そこに私のやり方を創発させたものがメンタルーツカウンセリングです。

ということで、参加者の方は、来月の応用心理講座を楽しみにしていてくださいね!

では、また。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?