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#習慣にしていること 「人に感謝されること。 」


人に感謝されること。

これを習慣化すると、自分の幸福度が最大化される気がするし、私以外の人も幸せそうだし、実際に幸せを感じられることが多い。とても。

#習慣にしていること

という、noteの素敵なお題を見つけて、自分が習慣化していることって何だろうと考えてみた。

・旅行かな?

・読書かな?

・適度な運動かな?

・勉強かな?

・スタバやコメダへ家族と行くことかな?

なんて、習慣化しているもの、というとおこがましいけれども、日常の中に組み込まれていること、組み込んでいることは自分の中で多数ある。

これらは、社会人になってから始めたものや、結婚してから始めたもの、最近知り合った人の影響で始めた習慣である。

でも、せっかく習慣にしていることというお題でnoteを書くんなら、もっともっと昔から続けていることがいいかな。

会社で働くよりもずっと前、大学生、高校生、中学生、あるいは小学生から続けていることがあるならそれこそ、私のとってのゆるぎない習慣じゃないだろうか。

ひとつだけ見つかった。

「人に感謝されること。」

一番最初に私が感謝されるという経験をしたのは、私の家族への小さな思いやりだった気がする。(覚えいているのが)

私が幼稚園か小学校の低学年の頃だったと思うけど、私の両親が経営する小さなお店の掃除をしたことがある。

当時は純粋な心を持っていた私は(今は違うけど・・)、お小遣いを貰おうとか、好きなお菓子を買ってもらおうとかそんな打算なしに、掃除をした。

確か、それはなんとなく、ほうきとちりとりがそこにあって、近くに目立つゴミがあって、なんとなく掃除をしてみようかと思った、それくらいの気持ちだったと思う。

結果として、その行為が両親にとってはうれしかったらしく、「ありがとう、偉いね」と感謝される、褒められるという経験をしたことをよく覚えている。

その経験から、私が掃除好きになっていれば、こんまりさんよりも先に私が有名になっていたかもしれないが、実際には私は掃除好きにはならなかった。

(片付けられない男の話は別の機会に語るとして)

私は、人に感謝されること。に魅了された。

自分にとっては、ただ近くにあった掃除グッズで、自分がゴミを片付けてきれいにしたいと、たまたま思ったので、掃除をしたら、その結果、その労働に釣り合わないくらいの感謝の言葉を貰えたし、親の笑顔をみることができた。

この幼少期の経験が、非常に私の中でインパクトがあり、今の私を構成していると言っても過言ではない。今の私を構成していると思うのは、「人に感謝されること。」をしたい、されるように行動しようという気持ちが自分の心に強く刻まれ、その気持ちを意識して行動することが習慣化されたからである。

ちなみに、「感謝されたい。」というのは偽善的で、なんかイヤだなって感じる人は「ありがとう。」と言われたい、と読み替えてもらってもいい。

「ありがとう。」と言われることは簡単である、

人が(面倒で)やらない仕事をやる
人の期待以上の仕事をする
その仕事が人のために役立つ仕事である
giveのみ考えて、人からのtake(return)は考えない

この4つを意識すれば十分だと思う。

そして、この4つをやる人って、大概は結果的に得をする。

人のやらない仕事をすることで、貴重な経験を得られる
人の期待値を考えることで、他者考察が得意になる
手段と目的の違いがわかる(仕事を定義するようになる)
giverになれる(やったから倍返ししてねとか、クレクレ君にならない)

なんだか得してるんじゃないかこれ?って後から気づいたけど。

得しようと思ったんじゃなくて、「人に感謝される。」とうれしいって自分が感じられるから、進んでやるようになった、という自発的な気持ちがポイントと思う。

これが反対に得するんじゃないこれ?ってご褒美目的に始めていたら、本日のテーマの #習慣にしていること  にはならなかったと思う。


そして時は流れ、

私は損害保険会社の保険金支払部門で働くことになった。

だいぶ人生を端折っていますが、「人に感謝されること。」を実感できる仕事なんですこれ。

まず、保険という商品自体が、自分に将来起こりうる可能性が低いんだけどひとたびそのリスクが顕在化したら自分の人生が結構大変になってしまうことに備える、というものなので世の中になくてはならいものです。

世の中にはなくてはならない仕事を、公共性の高いしごと、と表現することもありますが、電気ガスのインフラ系などと並んで、保険業も公共性の高い仕事だと思います。

その中でも、いざ可能性の低いリスクが顕在化してしまった、お客様というのは大変につらい目に合われているお客様であると言えます。

交通事故に遭遇してケガをしてしまったお客様
新築マイホームが火事で延焼してしまったお客様
大地震がきて、高価な家財のほとんどが壊れてしまったお客様
スキー中に転倒して、全身を骨折してしまったお客様
サイバーリスク被害にあって、自社の保有する機密情報が盗まれてしまった企業
天候不調で農作物が育たずに売り上げが大きく減少してしまった農家
新型コロナウイルスに感染してしまったお客様 等々

皆様も一個くらいは、上記リスクが怖いなと心配になったり、あるいはリスクが顕在化してしまい、保険請求したという方もいるのでは?

私の前職の保険金支払という仕事は、この不幸にもリスクが顕在化してしまったお客様にいち早く保険金をお届けするという仕事だった。

辛い思いをしているお客様に保険金をお支払いしていて、「保険に入っていてよかった、助かった」と言っていただける場面に直面できる仕事である。

「ありがとう。」と言われる仕事と言い換えられると思う。

「人に感謝される。」「ありがとう。」と言われる仕事がしたかった私にとって、損害保険会社の保険金支払いの仕事は転職だったとも言える。

こうして考えてみると、幼少期の経験が自分の中で大きく影響し、自分という人格を構成して、仕事選びにも影響を及ぼしているのでないかと思ってしまう。

ちなみに、さきほどわたしは保険金支払いの仕事を天職と言ったが、実は私は転職をしている。

なぜか?

もっと、やりたい仕事が見つかったから。

それは、霞ヶ関でのお仕事である。

損害保険会社の仕事は自分の目の前のお客様(自社の保険契約者)へ、対応していくことだった。

霞ヶ関での仕事は違う。

自分の担当する案件は小さい時も大きい時もあるけれども、日本全体に影響を及ぼすような仕事ができる。

「日本のために働く」「日本国民のために働く」仕事と言えるんじゃないか。

責任は重大で、霞ヶ関への国民の求めるものは非常に高いものだと承知の上で、それでも日本国民に感謝されるような仕事をしみたい、できるんじゃないか。

との思いで、損保から霞ヶ関に転職を決めた。

まだ、この選択が正解だったのかはわからないけれども、自分の #習慣にしていること  =「人に感謝されること。」の信念に沿った行動であることは胸を張れる。

幼少期から続くこの気持ちは、自分の中で習慣にしていると言い切れるし、今後も変わらないと思う。

私の習慣にしていること =人に感謝されること。ありがとうと言われること。

そのために行動すること。

行動していること。

は以上です。

最後まで読んでくれてありがとう。


最後に質問したいんだけど

あなたにとっての習慣にしていることは?

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