制作さんによく効く「どく」

効果はばつぐんだ!

「自分は仕事も遊びも大事やと思うから、どっちも応援してる」「いま演劇やる理由を見つけないと、演劇は難しいよね」って言われた。

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悲しい。

一個目は、私にとってはどっちも仕事だから。まあその人の基準であえて言うなら(食い扶持の)仕事と、(食えてない)仕事、という括弧書きは可能かもしれないけど。

二個目は、一個目と矛盾してたらあれだけど、私が演劇やるのは、生きることだから。生きる理由を見つけないと難しい、って言われてしまうと、え?死ぬしかなくない??ってなる。

「いま生きる理由を見つけないと生きるの難しいよね」って言われたことになるので、とても悲しいですね。仕方ないけどね。
制作さんは、絵や歌や俳優のように、生きる理由として行為が(分かりやすく)直結してないし仕方ないよね。
「いま産む理由見つけないと、いま出産は難しいよな」に近いよ。
え、じゃあ殺すの?この演劇を。って。

どんな芸術もどんな作品もすべてそうだと思うけど、だから自粛とか公演中止とかって一方的に通達されて自己負担で処理してください、っていうのは、こっちは産みたいのにお金も渡さずに子供墜ろせって言われてるような気持ちです。演劇は今この瞬間のものしかその作品じゃないから、映画みたいにあと一年待って「もっかい産もうね」とかもできないし。


作ったんだから産みたいし、逢いたいし、育てたいし。妊婦さんに「こんな時に出産なんて」ってふつう言わないように、言うやつが責められる頭おかしいやつであるように、芸術だってなってほしいよ。そして私はある意味で助産師さんなので、「こんな時にお産手伝うなんて」「いまお産手伝う理由ないと、お産は難しいよな」と言ってるとしたら、それは実は妊婦さんに言うよりも頭おかしいヤバいことだと思うんだ。

作家が妊婦で制作は助産師。わたし今、結構いいこと言った気がします(タクシーのCMのやつのマネで)

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